僕が就職する1975年前後、まだ関西圏は活力があった。官公庁や政府系の機関に就職しようとすれば東京に行く必要があったものの、民間企業はとりあえず大阪に出掛ければ間に合った。
当時、どこに会社訪問したかといえば、神戸銀行(太陽神戸銀行、太陽神戸三井銀行、さくら銀行を経て三井住友銀行)、三菱信託銀行(三菱UFJ信託銀行)、三和銀行(三菱東京UFJ銀行)、住友林業だったと記憶している。ひょっとして大和銀行(りそな銀行)も訪問したかもしれない。
このうち、神戸(行ったとすれば大和)、三和は、失礼ながら就職する気がなかった。神戸と大和は何かのついでに訪問した。当時としては大金の(2日間飯が食える)1000円という交通費をくれた。今の学生もやっていると思うが、一種のバイトである。当時の僕としては、家庭教師で稼いでいたので、その2社くらいしかバイト訪問をしていない。
三和は「嫌や、行く気は毛頭ない」と言っていたのに、同じゼミからの就職者が「会うだけでいいから」というので、渋々出掛けた。なのに(そうだからかな)、面接者と半分口論(議論)になり、そのまま縁がなくなった。交通費もくれなかったと思う。
三菱信託は「どうしようかな」と少しは考えたが、東京の企業というのが最大の理由で、二次面接の案内を断った。
住友林業は6月になってからだと思うが、「山歩きが仕事になるのなら、それが最高」というので、内定先確保という余裕を携え、訪問した。でも、その後、ダメとも、来てくれとも連絡がない。6月末、「7/1に来てもらえれば」との手紙が来た。しかし、その手紙の意味がわからなかった。「内定先がゼロのかわいそうな学生」宛の手紙なのか、「来たら内定確実」なのか。もしも「内定を出すで」ということなら、日本生命を断り、住友林業に行ったと思う。人生の分岐点だったわけだ。
それで日本生命だが、7/1に内定が決まってから、会社訪問の交通費を精算してくれた。コマセを撒かない会社というわけだ。それと、思い出したのは、7/1の前日、当時の持病だったぎっくり腰になった。えらくつらい思いで淀屋橋まで行ったわけだ。確か当日、健康診断もあった。その後の会社生活を暗示していたのかも。
2016/06/12