ルワンダとコンゴへの旅行の準備をしている当日の夕方、最後のメールチェックをしたところ、訃報が届いていた。一瞬目を疑ったが、「やはりか」とも思った。タイ在住の福間鋼治氏の訃報である。
実は福間氏と契約していた。東南アジアの原稿を書いてもらい、それをブルームバーグ用に加工していた。毎週書く原稿なので、時間の欲しい僕としては、記者経験のある福間氏に原稿の半分を手助けしてもらっていた。
7月末に送られてきた原稿は、タイからラオス経由でベトナムに入り、ベトナムからカンボジア経由でタイに戻るものだった。すべて陸路で、それも公共交通機関を使うものである。5月、一緒にラオスから中国の昆明に入ったが、その横のバージョンを試みたと考えればいい。
8/1、その原稿の訂正版が福間氏から送られてきた。そこにはついでに、「先週の水曜日あたりから体調が悪かったのですが、金曜は発熱、悪寒、節々の痛みで寝ることが出来ません。土・日曜も同じで、体温は39.3度でした。今回の旅行が、かなりハードだったかもしれません」とも書いてあった。
少し心配なので、「風邪ですか。それにしても熱が高いですね。マラリアとか、蚊の媒介する熱病でなければいいですが」とすぐに返信したが、それへの返事がなかったのでさらに心配し、8/4に「体調の方はいかがですか・・」と送った。
その翌日、福間氏の妹さんから、大使館経由で死亡の通知があったとのことだった。死亡推定日時は8/3の午前らしい。
訃報の後、僕自身の旅行もあり、妹さんがタイに行くタイムラグもあり、詳細は今日伝えられた。内容は個人情報であるから、詳しく書けない。いずれにせよ、病死との診断だったとのこと。多分そうだろう。
記録をたどると、福間氏とは何回も旅行した。最初は1996年の上海だった。その後9回、合計10回に及ぶ。海外旅行の同伴者の回数として、第三番目に多いだろう。そのうち6回は福間氏が本拠地をバンコクに移してからのものである。これからもいくつもの旅行の計画があったし、福間氏も楽しみにしていた。非常に残念である。ご冥福を祈らずにはいられない。
追記的に書くのなら、今回のルワンダとコンゴの旅行が成功裏に終わると、福間氏の訃報を見た瞬間確信した。お礼も述べたいと思う。
2016/08/21