出光興産と昭和シェル石油の経営統合問題が大混乱している。この大事件を眺めて思うのは、日本の伝統的な経営者感覚とは過去の遺物でしかないということである。
出光の創業者は生きていないから、その子孫の感覚だけかもしれないが。
同時に、石油行政は電力と同様、通産省(今の経産省)の規制行政の最たるものであったから、その役所的感覚が育んだ障害児(「障害児」ではなく、もっと簡明かつ適切な日本語があるのだが、ここでは使わない)というか、甘やかされっ子なのかもしれない。
というのも、どう考えたところで、日本の石油産業は衰退産業である。日本の産業全体における石油の消費量、日本における車へのニーズの減少、その車自身のエンジンの今後(石油から電気へ)を思い浮かべればいい。もちろん、日本の石油業界が国際的な競争力を有しているのなら別だが、今のところそんなカケラもない。とすれば、せめてものところ、弱者が集まって少しでも強者に近づこうとするのが正しい選択となる。
それなのに出光の創業家は過去の栄光にすがるだけで(そう見えてしまう)、将来に対する計画というか見通しが皆無である。現実をどれだけ正しく認識しているのかも疑問だろう。「頑固で耄碌した経営者」の一角を占めているのかもしれない。
この業界、実はアナリスト業務をやっていた頃の担当だった。さらに言えば、父親が高度成長期に投資していた。日本石油は儲けたと記憶しているが、丸善石油(今のコスモ石油の前身の1つ)は「あかんなあ」だった。高度成長期の業界の栄光とその中での序列、アナリスト時代の業界に差しかかろうとする陰りを見ているだけに、出光興産には悲しいものがある。
といっても、僕自身、現在はこの業界に何のポジションもないのだが。もしも投資したいのなら、それは世界の中から選ぶべきものだし。
2016/09/07