日経新聞を毎日読んでいて思うのだが、日々書かれている株価に関する記事の内容が異なっている。朝刊であれば、前日の株価の解説をしていて、ついでに今日1日の方向感を書いているに過ぎない。接線的な思考と記述そのものである。
新聞だから、前日の出来事を記事にするのはある意味で仕方ないと思う。しかし、それならば「前日はこれこれの理由で株価が上がった(下がった)」と書くだけでいい。それなのに、強引に付け足したように、株価が変動した理由をこねるものだから、連続して読んでいる読者に大いなる誤解と混乱を与えてしまう。ある意味、新聞記事は雑音であり、迷惑でしかない。
株式投資とは何なのか。短期で売買して儲けるものなのか。じっくりと数年程度持って儲けるものなのか。この点、記事では(記事以外のいろんな出版物もそうなのだが)投資期間を明確にしないことが多い。多分、今日、明日のことを書きたいのだろう。邪推するに、短期でもいい(その方がむしろいい)、こまめに売買してもらって手数料で儲けてなんぼのものという、1960年代半ばから続いてきた証券会社的発想が日本市場の関係者全体に染みついてしまったのだろう。
今日買って明日売るのも株式投資だろうが、今日買って5年後に売るのも株式投資である。こまめに売買して儲けることを否定はしない。しかし、大手の新聞として考えないといけないことは、市場を見ることがままならないサラリーマン、つまり個人投資家にとっての株式投資とは何なのかである。多分、長期的に「ええやん」という株式を買い、当分保有を続けることだろう。サラリーマンに「こまめに株式を売買する時間」なんてない。この点を、新聞記者は、株式新聞でないとするのなら、本気で考えないといけない。
ついでに書くと、日銀の金融政策がどのように決まるのか、大したことないとは言わないまでも、そんなことで普通の個別企業の価値が大きく上下するとは考えられない。要するに、政府や日銀が何を考えようが、ちゃんとした企業ではちゃんとしている。これだけが長期的な真実である。だから、金融政策が変更になり、今日明日と売られれば買えばいいのである。逆に買われれば、売ることも考えればいい。記者として何かの見解を書きたいのであれば、それは企業価値の本質だろう。
2016/09/16