川北英隆のブログ

サラリーマンの昼飯考

吉野家の牛丼のことを思い出したついでに、サラリーマンの昼飯について考えてみた。僕が勤務したのは、大阪の3年間を除くと、最初は新橋に近い霞が関、その次は有楽町である。いろんな昼飯があり、楽しかった。
新橋に近い霞が関の頃は中華料理屋によく行った。他にもいろいろと行ったが、すぐに思い出すのはやはり中華である。新橋付近に四川飯店を含め、有名店が並んでいた時代(1970年代後半)である。1000円くらいで美味かった。昼休みに90分程度使っても、仕事さえすれば怒られなかった。そうそう、丘を越えて赤坂まで食べに行ったこともあった。往復で90分以上かかっただろう。
有楽町の頃も、当時は新橋と並ぶ場末だけのことはあり、いろんな店があった。社食もあったが、好きでなかったので、必要最小限しか行ったことがない。
昼休みに90分も使うことはなくなったものの、12時から13時をきちんと守らなくても怒られなかった。事務の仕事でなかったこともあるだろうが、上司にも恵まれたのかなあと思っている。この時代が一番長く、20年続いた。最後は僕が一番上だったから、株式市場が終わる11時半過ぎから60分程度の(まさに程度の)昼休みだった。
当時の昼飯で覚えているのは、飲み物付き定食だろう。1990年代半ばである。飲み物の選択肢に小ビールというのがあった。生ビールである。研究所時代だったので、「頭の回転を良くするため」との名目でビールを選択していた。コーヒーがあまり好きでないこともある。それで1000円だったか、もう少し安かったような気がする。
バブルがはじけ、サラリーマンが貧乏になった時代背景から、昼飯と飲み物で1000円が上限となり、その範囲での飲み物付き定食が流行った。思い出すと、1980年代後半のバブルの頃は、1000円の昼飯にコーヒー(当時は喫茶店しかなく、400円くらいした)を飲むことも、毎日ではないが、よくあった。こう考えると、やはり1990年代は縮小均衡、デフレの時代だったわけだ。
それが今ではどうなのだろう。サラリーマンの街にいないので東京がどうなっているのかはわからない。大学には、周りにラーメン、カレー、うどん、牛丼程度しかない(マクドもあるが場所を正確に思い出せない、って嘘だが)。学食もあるのだが、ついに京大に正規勤務していた10年間、1度も食べずに終わった(最後は記録を作るために誘いを断ったこともある)。
昼飯代は、牛丼なら500円で済む(値上げ後の大盛を食べないかぎり)。ラーメン、カレー、うどんであれば1000円で数百円のお釣りが来る。講義が立て続けで入ったり、会議があったりする場合にはコンビニで握り飯かパン類を買うから、500円で済む。大学に売りに来る500円弁当を買うこともある(注意しないと腐っているようなのもあるそうだが)。お茶はというと、研究室に小さな冷蔵庫があり、そこに冷やしてある。冬はポットでお湯を沸かし、お茶を淹れることもある。いずれにせよ、1000円も使うことはほぼない。サラリーマン時代と比べると教員はえらい貧乏だから、昼食も貧しくなったということだろうか。

2016/09/19


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