川北英隆のブログ

和知で過疎問題を考える

長老ヶ岳の最寄り駅は山陰線の和知である。山陰線は元々主要鉄路であり、それにほぼ並行して道路も1桁番号の国道9号線が通っている。しかし、現在はどうだろうか。高速道路も鉄道もちゃんとしていない。
高速道路を調べると、鳥取、島根の日本海側に通っているのは、ほぼ米子と出雲だけである。鉄道といえば、山陰線はほとんどの区間が単線である。
かつての出雲は大和朝廷と覇を競う文化の中心であった。だから出雲大社が厳然としてある。朝鮮半島が近く、大陸文化の重要な窓口だったからだろう。
この地位が時代とともに薄れてしまい、今は意味をなさない。現在、山陰の横を結ぶよりも、山陽と結ぶほうが意味を持つようになった。鉄道での移動も、姫路や岡山から中国山地を横断して鳥取や松江に行く方が便利になってしまった。僕の学生の頃は、それでもまだ山陰線を使って京都から鳥取や島根に旅行したものなのだが。
ということで、現在の山陰は日本における文明の僻地だと表現すれば嫌な顔をされるだろう。出雲出身の故福間氏にはどやされるだろう。
急に話題を和知に戻すと、和知の少し西、綾部は生糸の中心地だった。グンゼ(かつての郡是製糸)の発祥の地である。京都に近かったこともあり、園部、綾部、福知山とその周辺は生糸で栄えた。現在の京都銀行も元をただせば丹波、丹後を地盤とする銀行である。
和知を歩くと、その繁栄の歴史が垣間見られ、豊かな農村の雰囲気である。しかし、日中なのに、山から下りて1時間歩いたにもかかわらず、農家の近辺では人っ子一人見かけなかった。ほんの時々、車が通る程度である。完全な過疎である。
その一方で、亀岡付近には「北陸新幹線を・・」という看板があった。亀岡は丹波地方の中心の一つである。しかし、そこに新幹線を通してどうするのだろう。在来線でも嵐山へ10分しかかからない。京都駅には25分程度である。そんな近距離に新幹線を通すよりも、亀岡の少し先、園部と綾部の間が今は単線であるのを複線化するのが良策と思えるのだが。そうすれば、単線区間にある和知にも、もう少し昔の活気が戻るように思える。
写真は、下山して直後の農村と、その奥に端正な台形の姿を見せる和知富士である。なお写真の十字は隠れキリシタンの教会ではない(あたりまえか)。
和知富士.JPG

2016/10/05


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