川北英隆のブログ

言葉には裏付けが必要で

「言葉の力」という見出しでコーポレートガバナンスが論じられていた。言葉の重要性は論じるまでもない。言霊という単語もあるほどだ。きちんとした文章を書くとき、単語のイメージや定義を固めないといけない。
その点、僕のブログはその日の気分で、ある時は酔っぱらって書いているから、言葉が揺れる。その上、視力も落ちているのでタイプミス、変換ミスが交じる。後で読み返すと、自分の文章ながら、「何を言いたいのや」と思うこともある。さらに言えば、「きちんとした文章」を書くときにも記憶力が落ちているから、ブログほどでないにしても言葉が揺れる。
言葉が力を持ち、切れ味鋭くなるためには、揺れはほとんど許されない。本当のところ、意識して心情の揺れ表現をしたいのなら、単語を微妙に変える必要性がある。
経営もそうである。経営自体がおんぼろでグラグラ揺れていたのなら、いくら同じ言葉を何回も力を込めて繰り返したところで意味がない。言葉を聞かせた全員に、その言葉の裏にある経営が揺れていると悟られてしまう。言葉だけが空回りしてしまい、従業員や取引先や消費者にバカにされるのが落ちだろう。
コーポレートガバナンスは形式ではない。コードなどが要請する形式を満たしたとしても、実質上のガバナンスが整うとは限らない。経営者が、そして企業の文化が揺れずに何を意識し、努力し、実践するのかに依存している。
しかも重要な注意事項は、経営環境としての時代が変化することである。その時代の変化に企業が適応できるのかどうか。できれば時代の一歩先を歩めるのかどうか。経営つまり経営哲学がぶれず、その上で時代を見極め、良しと判断したことをためらわずに採択することが求められる。
経営者には強く揺れない精神と柔軟な頭脳が必要である。もちろん、利己的な行動も許されない。言葉は、この2つというか3つの、経営者としての基本的な資質の具備が前提となる。
結論である。言葉が基本だと表現したところで、それとコーポレートガバナンスの完備にはまだまだ距離がある。形式的な、言葉だけのコーポレートガバナンスには意味がない。
友人が大学の定期健康診断を「アホやん」と言っていた。ボロっちい時代遅れの機械で聴力検査をするものだから、時々機械の調子で音が聞こえない。それにもかかわらず「難聴」と評価され、その結果を見た指導医師(研修医に毛が生えた程度)から「ちゃんと病院で検査したほうがええ」と判定されたとか。
形式的な、もしくは言葉だけコーポレートガバナンスは、この言葉が乱発される健康診断に似ている。「アホやん、まず自分のことを客観的に評価してみるのが先決やろ」と言われかねない。

2016/10/07


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