日本の個人は欧米と比べて預金や保険への信仰が強い。金融資産の半分以上が預金や保険であり、株式や投資信託が少ない。株式市場をもっと発展させるために(本音は株価を上げるため?)、「貯蓄から投資へ、つまり預金から株式への流れを」とされる。
株式に人気がないのは、1つは「株式投資は下品だ」「大損する」とのイメージからだろう。職業的に「株屋」と蔑視されることもある。「政治屋」よりはましだと思うのだが。
「株式ってなあに」との質問も多い。こちらは教育の不足であり、やはり「株式のことを教えるなんて下品だ」ということの裏返しなのだろう。現実はというと「多くの人が株式会社で働いているのに」である。これは、「農業、医療、教育、宗教といった聖なる職業を株式会社にやらせてはいけない」という発想と同根でもある。
それはともかく、もう1つ大きな理由から、株式が好まれないのだと思う。それは公的年金制度が不安定だから。むしろ、「年金があればバラ色の老後が来る」と思わせておきながら、年金支払が現実のものになって以降、縮小また縮小の足跡を刻んでいる。現在も、年金を受け取れる年齢を引き上げるとか、経済状況に応じて給付を引き下げるとかの議論がなされている。
そもそも年金も他のサービスもそうなのだが、タダ飯なんてないのだから、当初にバラ色の世界を描いて見せたことが、詐欺とは言わないまでも、一種の誇大広告である。そうでなければ、制度設計者がアホだったのだろう。
この制度設計当初に近い楽観状態が今でも続いている。つまり、「ここさえ乗り切れば、こう変更すれば」と、バラ色に近い世界を見せ続けている。公的年金について、「100年安心」というキャッチが10年くらい前に出されていた。これが象徴である。
しかし、国民のほとんどは、それが嘘に近いと悟っている。公的年金に期待していないし、逆に保険料を取られるだけ損、要するに税金とまったく一緒と思っているかもしれない。だから、「年金に頼らない生活を自分で作る」「貯金を十分にしなければ」「株なんて、いつ損するかもしれないものに頼れない」となってしまう。
必要なのは、役人と大臣が「公的年金でできるのはここまで」「この線だけは職を賭して守る」と、サバを読まずに宣言することだろう。現在、政府が「約束」している(いつ反故にされるか分からない)水準よりはるかに下だろうが、「それでも、ないよりは断然ましかな」と思わせ、頼りにさせないといけない。そうすれば、老後の設計が立てやすくなり、「少しは株式投資にでも」と思う国民が出てくるだろう。
2016/10/28