昨日、日本おもてなし学会の年次大会が平安女学院であった。大会の目玉は(まだ発足して間もない学会のためもあり)、裏千家の第15代家元、千玄室氏の講演だった。
裏千家の家元は第4代以降、宗室を名乗っているとか。2002年、千玄室氏は家元を子供に譲り、今の玄室を名乗っている。
ついでに書けば、元の千家は1つの家であり(千利休にたどり着くから当然か)、御所の北西に居を構えている。最寄り駅は地下鉄烏丸線の鞍馬口だろう。今出川駅より少しだけ近い。その元々1つの家の南側に表千家、北側に裏千家がある。建物として、表千家は不審庵、裏千家は今日庵が有名らしい(入ったことがないし、一般に入れてもらえるのかどうか不明)。
最近知ったのだが、千玄室氏は1923年生まれ、僕の母親よりも3年上、93歳である。姿勢、喋り方、動きは、75歳だと言われても不思議ではないだろう。講演も1時間の予定のところ、1時間10分程度続いた。原稿なしでも話が途切れない。いろんな話題が頭の中に入っていて、それを当日の全体の筋書きの中に当てはめているようだ。無制限ならどのくらい喋るのかとさえ思った。
演題は「もてなしでないもてなし」だった。要するに、「おもてなし」が表面に出て喧しいことに対する反発である。京都人の気位でもあろう。講演では「利休七則」関係の話が1/3位を占めただろうか。「利休七則」はウィキペディアにあるが、これもついでにコピペしておく。()内は注である。
茶は服(服用)のよきように点て、炭は湯の沸くように置き、花は野にあるように生け、夏は涼しく冬暖かに、刻限は早めに(余裕を持って)、降らずとも傘の用意、相客に心せよ。
その中で千玄室氏が強調していたのは「花は野にあるように生け」である。「そのさり気なさ、それでいて季節感を表現して来客を迎える」ことの重要性を語っていた。彼が若い頃(1951年)、ニューヨークでロスチャイルド家(だったと思う)に招かれた時に、その「花は野にあるように生け」に迎えられ、非常に感動したとか。
当日、池坊の当主(池坊専好氏、学会の参与)は出席していなかった。出席なら、「花は野にあるように生け」の解釈を千玄室氏と一緒に語って欲しいと思った。
最後にお茶について、出されたら、茶碗を何回も回す必要がないとか。お先にいただきますと隣に気を使いつつ、茶碗の正面を少し外して(少し回して)飲めばいいだけらしい。千玄室氏が言うのだから、今後は(って「いつあるのや」)そうして飲もうと思った。
最後に、千玄室氏は日本おもてなし学会の最高顧問・理事である。また(時間が作れればだろうが)学会で喋るとも。関心があれば、是非、入会を。
http://www.heian.ac.jp/omotenashi/
2016/11/20