企業との対話を図ろうとの行動指針がスチュワードシップ・コードに書かれている。プロ投資家の責務だという。ゴルフやサッカー談義を対話と理解しないのなら、この指針は正しい。でも、その対話をパッシブ運用の投資家にまで広げようというのはどうなのか。
これまでのスチュワードシップ・コードに関するフォローアップ会議での資料をきちんと読み、そこでの議論をフォローしていれば明らかなように、パッシブ運用についても対話が絶対必要だとの議論で盛り上がっている。11/8の金融庁が作った資料には「パッシブ運用は、アクティブ運用と異なり、投資先企業の株式を売却する選択肢が限られ、中長期的な企業価値を促す必要性がより高いことから、運用機関等は、より積極的に中長期的視点に立ったエンゲージメント(対話)や議決権行使に取り組むべきである」と書かれている。
この文章に会議の席で疑問を投げかけておいた。いずれ議事録が公表されるだろう。
疑問の1つは、後で少し説明するように、この文章は投資理論からすると間違っているというか、理解不能である。とすると、疑問を投げかけておかなければ、(半分趣味とはいえ)投資理論の世界の端くれにいる「川北ってアホじゃろが」と断首されてしまう。
アクティブな投資家が、ダメな企業はダメ、良い企業は良いと評価してくれているから、その評価にタダ乗りしようというのがパッシブ運用の基本である。パッシブ運用だから対話が必要だというのは、そもそもパッシブ運用を選択した判断を自分自身で否定しているわけだから、自己矛盾そのものである。だから、その文章の肩を持つと、頭が狂っていると思われてしまう。
その理論的な矛盾はともかく、現実の世界においてアクティブ投資家の判断がいい加減であり、十分機能していないという評価はある程度認めていい。だから、対話や議決権行使が必要だというのも、そうかもと思えるが、ここでもう1つの疑問が生じる。
昨日のブログで書いたように、日本のパッシブ運用の多くは東証株価指数(TOPIX)を対象とするものであり、その企業数2000社である。その2000社と対話し、きちんと議決権行使の判断を誰ができるのかという、現実的に非常に大きな問題がある。対話できると公言してはばからない機関もいるのだが、ではそのための膨大なコストをどうするのか、そもそも対話できる能力の高いアナリストという人材の調達をどうするのか、企業側も本当に対話できるのかということである。
僕の経験からすると、年金ファンド等がパッシブ運用を選択するのは、コストが安いからであり、もっと言えば、「パッシブ運用だからコストはいらんやろ」と運用を委託する先(投資顧問会社)に安いフィーを半ば強制している(「よう独禁法違反にならないもんや」とも思っている)。万が一にもフィーを払ってもらえたところで、2000社を本当の意味で調査、分析できるアナリストはいない。企業側も、一握りの企業はともかく、慇懃無礼に徹する企業や、そもそも対話能力のあるのは経営トップしかいない企業も多い。
逆に、2000社に頑張って欲しい、それらの企業に活力を持たせるのが投資家の使命だとの議論もありそうだ。しかしそれは、「成績不良につき退学」という制度がないのに、全学生に勉強しろと叱咤激励を続ける教員の姿に近い。学生の立場からすると、昨日も書いたように、余程アホなことをしないことに注意さえしていれば、「○○大学に入学、卒業」と履歴書に書けるから、「何が悲しくて人生における貴重な遊び時間を棒に振り、机に向かわんとあかんのや」となる。
対話を推進したいのであれば、パッシブ運用の市場(真似する市場)をアクティブに定めることが現実的だろう。日本の場合、100社とか200社が現実的な企業数ではないのか。このアクティブにパッシブ運用の市場を決めるのは、投資家自身かもしれないし、S&Pのような機関だろう。また、この100社とか200社から漏れないため、頑張る企業は頑張るのではないのか。それで十分だと思う。
2016/11/27