ある記事を書くため、年の暮れに相応して題材を考えた。と、今年のキーワードを定め、その話題をオムニバス風に書こうと決めた。そのキーワードが「情報」である。今年ほど「情報」関連のニュースが飛び交ったことはない。
最も身近に情報社会をイメージできたのが囲碁の世界である。コンピュータがプロ棋士に勝てる時代はもう少し先と言われていたのに、今年3月、グーグルのアルファ碁がいきなり世界のトップ棋士に勝ってしまった。ディープラーニングという手法の勝利である。AIの凄さが身にしみた。
もっともグーグルは相当量の演算処理能力を囲碁に投入したので、一般のソフトがプロに勝つにはまだ少し距離があるとされた。しかし、その半年少し後、日本の囲碁ソフトが同じディープラーニングを使い、日本のトップ棋士と互角に戦えるまでになってしまった。囲碁の世界もコンピュータが最強になる。
おかげで、人間の存在意義が問われる時代に突入した。今の中学生くらいが社会人になる頃、どういう職業が人間に残されているのか。ひょっととして、詐欺師か物乞いしかないのではとさえ思えてしまう。
これは極端にしても、相当程度知的な職業か、ロボットに任せられない複雑な、つまりパターン化が難しい、しかし単純な労働かもしれない。後者の場合、後門の狼として発展途上国からの労働者が参入してくるかもしれない。そうだとするのなら、日本の学校教育を徹底的に見直し、少しでも多く国民が知的な職業につけるように工夫する必要がある。残念ながら、現在の中教審をコアとする教育制度の議論は、「きわめて」と修飾していいほどスピード感に欠けている。これが実態である。
もう1つの情報に関する話題は、メディアとしての新聞が時代に取り残されたことである。この事実が白日の下に晒された。とくにアメリカの大統領選では情報発信力どころか、把握力にも欠けていた。インターネットの時代に適応できていない。
日本の新聞はアメリカほど深刻ではないが、ほとんど確実に明日の我が身である。とくに、日本のメディアは、新聞に限らずほとんどの分野で(出版物や音楽が)競争に晒されていない。価格に対して独禁法の適用除外を受け、王様だった。それが、気がつけば、今は下着一枚になっているようにさえ思う。
NHKもそうだったと思いだした。ネットで無理やり配信し、それをテコにスマホからも受信料を強制的に取り立てようと企てているようだが、「何たルチア」である。時代遅れの法律をインターネットの時代に適用したとすれば、世界の笑いものだろう。西隣の大国だけは、すごい国家権力と絶賛するかもしれないが。
話題が横に逸れ気味だった(最初に述べた記事はちゃんと真面目に書いたので、心配無用だが)。情報社会をどう生きるのか、個々人がまず自己責任で考えないといけない。このことを思い知らされたのが、今年という1年だったというのが今日の落ちである。
2016/12/19