文部科学省が揺れている。天下りの斡旋をトップ官僚としての事務次官が率先して行っていたとされる。思うに、国家公務員になるのは優秀な人材である。その人材が再就職するのは大歓迎である。問題はそのプロセスである。
見聞きした経験からすると、国家公務員になる人間は真面目で優秀である。不真面目な(正当な勉強なんかに関心のなかった)僕にとって、国家公務員になる学生は垂涎の的というか、「(そこまで勉強するなんて)考えられへん」というか、とにかく雲上人に近い。
そんな彼らが競争をし、徐々に同期のトップが絞り込まれ、その競争から離脱する(結果として退職する)者が出てくるのは自然である。とはいえ、国家公務員の個々の潜在能力は高い。だから、高齢者の活用が急務な日本社会において、国家公務員の同期間の競争から離脱した者を、社会として再度活用しない手はない。
問題は、国家公務員となり、退職するまでの間、各々がどのように努力をしたかだろう。民間では人材の流動化が進んでいるし、進めようとの努力がある。この人材の流動化において求められるは、一般社会に通用する能力(つまり村社会だけに通用する特殊技能というか、役所的、ガラパゴス的ではない能力)である。
この点、国家公務員の間に、とくに省庁間の間に大きな格差があるのではないのか。民間の常識とも格差があるのではないか。この検証が必要である。省庁間の格差があり、さらには民間との間に大きな差があるとすれば(個人的な経験からすると、一般的な国家公務員には民間企業で通用する能力が欠けている)、この点を頭に叩き込み、個々の国家公務員は再就職に向けた努力を日々怠るべきでない。
要するに、独占はいずれ負ける。国家公務員は(官公庁の仕事は)独占企業の仕事に近い。潰しが効かないと言ってもいい。これでは、国家公務員の値打ちは、過去の人的つながり、つまりコネしかないことになる。コネは普通、年月の流れとともに陳腐化するし、コネの価値も革新が求められる時代において急速に低下を続けている。
国家公務員に対しては、今回の事件をもう一度反芻し、再就職のための努力を積み重ねてもらいたと要請したい。
2017/01/20