以前から、ニッセイの同期、光月君に「周防大島においで」と誘われていた。以前にも書いたと思うが、そういう誘いにはすぐに乗る。だから、お世辞でもいいから誘ってもらえれば、意に反してすぐにでもお邪魔する。
とはいえ、僕にとって周防大島の優先順位が低かった。というのも、高い山がないから。また日程がなかなか合わなかった。このため、なかなか訪問が実現しなかった。
少し事情を説明したほうがいいだろう。
ニッセイの同期の光月君は周防大島の出身である。実家はサラリーマン兼農家だったようである。
周防大島は、実のところ海賊の島であり、ハワイ移民の島でもある。海賊は村上水軍、ハワイ移民は明治の時代の話である。海に慣れていたから、大海を渡ってハワイに行くことに違和感がなかったのだろうと光月君が説明していた。
村には移民から戻り、立派な家を建てたのが多い。移民帰りの家の特徴は、2階に大きなガラスがはまっていることだそうだ。そこで日差しを浴びながら、当時は珍しかったコーヒーを飲んでいたそうである。光月君の実家もお爺さんだったかが移民帰りである。おかげで彼自身、学生時代からインスタントではないコーヒー党だったとか。
光月君はその実家を引き継いだ。そもそも家が市川市にある。だから、遠隔地の家の、それも農家の広い敷地の管理は大変だったのだが、弟がその家に住みたいと言ってきた。この結果、光月君が大家、弟が管理人のような関係になり、今は順調なそうな。
ということで、大家の光月君は年に数ヶ月、実家を別荘代わりに使っている。その別荘暮らしに僕が遊びに行ったことになる。
写真は島の西端、飯の山から見た対岸である。中央奥の町は柳井市である。島と本土とは写真の右端の橋でつながっている。光月君の高校時代は渡し船だったそうだ。
2017/01/24