昨日指摘した「ベンチャー企業が日本で育たない理由」は、起業する側、すなわち若者の姿勢についてだった。一方で若者に仕事の場を提供する側、すなわち企業や社会全体にも大きな問題がある。
ベンチャービジネスのような創造性の高い企業を起こす役割は、まず若者に期待しないといけない。中高年にも可能だろうが、家庭があり、創造性もピークを過ぎ、頭も社会的経験によって固くなってくると、創造性のある起業は難しいだろう。
この点、日本の社会制度は戦後の成功体験を引きずっている。むしろ、この社会制度を唯一のものとして誤解してしまっているか、幻を追っている可能性が高い。
幻の社会制度をある程度信じて学生が卒業し、就職している。仕事の場を提供する側は、幻なんてありえないと断言するか、断言するフリをする。一部の人間が幻だと騒いだとしても、「少し差し込んだ影を見て騒いでいるだけだ」と反論するだろう。
現実を示すのが一番である。
幻の好例が終身雇用である。高度成長期の真っ只中で大企業に就職した場合は終身雇用が実現したかもしれない。現在は、終身雇用を信じてのほほんと生きれば、手痛い目にあう。
金融機関をイメージするのがいい。生き残っている日本の金融機関で戦後から同じ名前の機関がいくつあるのか。あったとして、世界に羽ばたいているのか。事業会社もそうである。これまで立派な大企業だと思われてきても、簡単に傾く時代である。世界が相手だから仕方ない。買収したり、されたりも頻繁に起きる。そんな時代に終身雇用なんて、夢のまた夢と思ったほうが正しい。
終身雇用が幻だとすれば、それを前提とした年功序列の給与体系や退職金・年金制度は若者にとって見せ金に近いのではないか。働いても、頑張っても、成果に応じた報酬は「後払い」とされ、そのうちいつか企業が傾くと没収されてしまう。若者からすれば、適当に働くにかぎる。空いた時間を使い、「一流の能力を身に付けるように努力すべき」となる。外資系企業など、転職の機会が得られるだろう。
企業はといえば、終身雇用が幻ではないフリをしている。このため、労働市場(転職市場)が未発達なままである。新卒でないと、ほとんどの若者は有利な就職ができない。だから、大学生は就職活動に必死になり、大学が就職予備校と化し、勉強が疎かになる。起業して失敗すると、復活戦が難しい。博士課程に進学すると企業への就職が難しくなる。
2/18の日経新聞には、退職金の税制が20年以上勤務した者を優遇している(退職金からの控除額が大きくなる)と書いていた。公的年金のポータブル制(転職した場合、新しく勤務した企業に年金をそのまま移せるのかどうか)も問題となる。
日本として、まず高度成長期にできあがった制度をゼロクリアすべきだろう。その上で、チャレンジする若者を応援し、失敗しても企業が迎え入れるようにするのが望ましい。チャレンジし、失敗したとしても、そこから何かを得ているはずである。
まだまだベンチャーを起業するために不足するものがあるだろうが、取り急ぎ、労働市場について考えてみた。
2017/02/19