川北英隆のブログ

自己責任原則をなくした社会

何回か繰り返してきた愚痴、つまり繰り言である。最近の公共の場での注意がますます酷い。それに輪をかけて傍若無人に振る舞う若者というか馬鹿者が多い。
最近の呆れた例は、東京のある小さな川に架かる橋の袂に「蚊が出るので注意」と張り紙がしてあったことだ。熱帯性の病原菌を蚊が運ぶからだろうが、東京のドブ川のような川には当然、蚊が出る。
そんなことも知らずに生きていくのは難しいだろう。都会の公園でどうするのか。また、東南アジアに旅行したときにどうするのか。他人事ながら心配してしまう。
もう1つ、ある日の昼、地下鉄に乗り込んだら、車掌が「スマホを見ないで乗り込んでくれ」と放送した。誰かがスマホを見ながら、とろとろと乗り込んだようだ。ここまで来るとアホを通り越している。
それにしても最近、スマホを見ながら歩く者がますます増えている。テレビではACジャパンが、夜のスマホ歩きによって犯罪に巻き込まれると注意を促している。暗がりで襲われたらどうするのか。大きな交差点でスマホを見ながら歩く姿も多い。車が暴走してきたらどうするのか。
かつての吉本新喜劇で「死んだらええのに」というギャクがあった。苦情が出たのか、そのギャクを聞くことがなくなった。思うに、このギャグ、スマホ歩きを注意するのにピッタシである。ACジャパン、再登場を検討してはどうか。
ついでに思うのは、同じ共産主義を採用した国なのに、中国とソ連(中心国のロシア)で経済発展が異なっている。いろいろと理由があるのだろうが、1つの大きな差は、ソ連では共産主義が70年間以上も続き、資本主義的な精神と生産体制が忘れ去られたことだろう。世代間で受け継ぐには、年月のギャップが大きすぎた。これに対し、中国の共産主義的な体制の歴史は比較的短い。つまり共産主義的な生産体制から早い段階で実質的に決別したため、資本主義的な基盤を受け継ぐことが可能だった。
これと同じで、傍若無人な振る舞いが蔓延してしまうと、何が公共の場での正しい振る舞いなのか、何が自分の身を守る振る舞いなのか、これらを判断できなくなるのではないか。こう考えると、犠牲者が出て、その犠牲の背景を正しく報じることが最大の注意喚起だと、本気で思ってしまう。

2017/03/26


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