大企業の集団である経団連の悪口ばかり言うのは生産的ではない。どうすればいいのか。まとまりがないものの、考えていることを少し述べてみたい。僕自身の複数の組織の経験からである。
大企業が罹る病気は決まって官僚病である。官僚組織はきちんとしている。だから、逆に今あるものから逸脱することができない。弾力性がないのである。
では、遊び(良い意味での余裕)がない硬直的なものかといえば、そうでもない。時代から取り残された部分がいくつもあり、遊びというよりも無駄が多い。何重にも形式的なチェックがかかる。誰かが「ノー」と言えば、それで終わりである。稟議書や決裁書類に印鑑がやたらと並んでいれば要注意である。
これに関連して言うと、会議が長いのも特徴となりうる。誰も決めないから、鳩首会議となり、時間だけが経過する。
誰も決めないのも大企業病を引き起こす。社長も決めないというか、社長でも決められない。さらに奥の院がいるからだろう。急速に社会環境の変わる時代にあって、社長経験者なる年寄りが居座るのはやはり病気である。その年寄りが活発に、対外的に行動しているのならともかく、内に居座るだけで、いろいろと口出しするのは、その企業の活力と発展性を削ぐ。企業の飛躍的な業務展開を阻害してしまう、一種の足かせとなる。
少なくともトップたるものは腰を(尻はいただけないが)軽くして、対外的に活動すべきである。社内にいれば、よいしょされて非常に気持ちいいだろうが、それに浸かるトップは最悪でしかない。
こう考えると、企業としての理想は、社長に多めの給与を払い、社長を退いた後はどこかに行ってもらうことだろう。多めに払った給与で、少なくとも余裕のある生活をしてもらう。もしくは、実力があるのなら、プロの経営者として他社や他の領域で活躍してもらうことである。この結果として日本にも経営者の市場、プロ市場ができる。社長も「残り数年でこの会社を去る」、「うまくやれば、この後も就職口がある」と思えば、本気で、120%はおろか、200%くらいの仕事をするだろう。日本の社会に不足するのは、この本気度ではないのか。
以上、主に組織と、組織のトップの観点において、日本の大企業に特有のイメージである。後日、もう一度きちんと考えてみたい。
2017/04/12