7月1日にふさわしい話題を。というので、南禅寺界隈にある細川別邸、怡園(いえん)を紹介しておく。怡園の怡は楽しむとの意味らしい。
南禅寺界隈には優美な別荘群が広がる。元は南禅寺の敷地だったのだが、多くを明治政府が没収、また廃仏毀釈に伴い、その払い下げを受けた民間の富裕層によって別荘庭園が広がった。現在も多くの庭園が残されている。
何故、南禅寺界隈が庭園付きの別送となったのか。1つは東山の林だろう。借景とするにふさわしかった。もう1つは水である。琵琶湖から疎水が引かれ、それをさらに庭に引いたのである。
疎水はそもそも工業用の動力源として、水車で利用するためだったとされる。南禅寺一帯が工業地になる計画もあったとか。結局、動力源としての疎水は水力発電にだけ利用され、残った部分の水利権を京都市が買い、また南禅寺やその外側の岡崎界隈を計画的に宅地化したとある。
http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000135509
怡園は現在、京都企業の某社の所有(ゲストハウス)となっている。海外からの顧客などを招くのだろう。そこに6月の某日、案内してもらった。
細川家の第16代当主、細川護立が造営し、庭は七代目小川治兵衛(通称植治)が手がけた。現在の別邸(家)は細川護貞(第17当主)が京都大学法学部に通うための下宿として新築されたとのこと。
その家の中も案内してもらった。下宿部屋もあった。狭い空間で下宿部屋らしかったが、その部屋以外の空間は何だろうと思える。
今から思うに涼しげな庭と家だった。ただし、蚊が多いだろうなと思う(本当の下宿部屋に住んだ者としての負け惜しみか)。
怡園の庭と建物の写真は次にある。
http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000189626.html
そうそう、当日は半夏生も咲いていた。野村別邸として有名な碧雲荘にも咲いていたから、この界隈の庭で好まれているのだろう。
2017/07/01