そう問われると、「個人の自由」と答えざるを得ない。働きたい場合もあるだろうし、早く仕事から離れたい場合もあるだろう。この問題を僕より少し若い友人Oと話していると、「早期退職制度とセットで」と言う。
個人にとって何が幸せなのかを考え、その幸せの度合を高めることが政府の本来の役割である。老人の域に近づくと、時間が大切になる。自分の好きなこと、やり残したことをするための時間である。仕事をしたい場合もあるだろうし、仕事から離れたいこともあるだろう。友人Oは後者である。僕の周りにも「後者を選ぶ」知人がたくさんいる。僕も、当然後者なのだが。
政府はこの事実を認識し、制度設計しなければならない。繰り返しになるが、「働きたい」老人が多いだけではない。「何のために今まで働いてきたのか」、「今さら働きたくない」という老人も多い。働きたくないと希望し、そのために自己責任で行動する(行動できる)のなら、働かない自由も認める必要がある。
今日の日経新聞に、国家公務員の定年延長が検討されているとあった。公的年金の支給開始年齢と退職年齢の間のギャップを埋めようとの考え方である。老後の生活を考えると、選択肢が多いことはいいことである。
日本の問題は、60歳を越すと(50代もほぼ同じだろうが)、労働市場がないに等しい(つまり、転職や再雇用してもらうことが難しい)ことにある。若い世代を含め、労働市場を作り、活性化することが基本である。その上での定年の延長だろう。残念ながら日本はこの市場が貧弱である。
働く者として認識しなければいけないこともある。定年の延長はタナボタでない。
もちろん、働かないと給与がもらえない。これだけで終わらないのがミソである。
政府としての予算(企業の場合は予算としての人件費の総額)に一定の限度がある。このため、定年を延長する一方、雇用者の賃金水準を従前のままにしておくと、人件費の総額が限度を増えてしまう。新規雇用を抑制しても、定年延長に伴う雇用人数の増加を相殺するには不足する。このため、賃金カーブ(昇給率や役職のアップ)の抑制が必要になる。結果として、働く者にとって、将来期待できる賃金上昇率が低下する。
経済活動への影響はどうだろうか。30代、40代の者として、当面の賃金上昇率の期待値が下がるものの、老後の心配が軽減すると考えれば、消費量は少なくとも変わらない。しかし、当面の賃金が期待していたほど上がらないことを重視すれば、消費は低下する。
先行きを楽観視するのか、当面を悲観視するのかの差である。日本の場合、果たしてどちらが多いのか。景気の現状や政府の政策に対する信頼度の問題からして、後者の可能性を無視できないだろう。
2017/09/01