天邪鬼だから、「本をたくさん読んで偉くなった」との記事というか宣伝を見るにつけ、「ほんまはそやないやろ」と思ってしまう。言い方を変えると、本を読んで偉くなったのではなく、本を読むのが彼らの方法論だった。
本を読んだら偉くなると思うのは、ハウツーものを読んだら賢くなる、上手になると思うのに似ている。
白状すると、会社に入ってすぐの頃、字を上手に書きたいと思った。そこで、「ペン字が上手くなる」類いの本を買ったが、読むだけで上手くなるわけがなかった。練習が大事である。でも、そんな練習をする気は毛頭なかった。数ページで終わってしまった。
確かに本を読むのは何かの助けになる。学生時代から社会人になってしばらくの間、相当の本を読んだ。その読書は目的があってのことである。漫然と読んだわけではない。今から思うに、考えながら読んでいた。
目的を持ち、考えながら読むことが重要である。おかげで、その後は大して読まなくてもあまり不自由しないベースができたと思っている。「ほんまかいな」だが。
しかも今ではネットが発達しているので、必要な知識が直接得られる。ネットで満足できない場合(疑問に思った場合)、専門書や関連する参考文献を買い、ざっと目を通せばいい。そのついでに周辺情報も得られる。
漫然と読むのなら、また読むために読むのなら、本は有害である。時間の無駄だとも思う。読んだことに満足してしまうから。「本をたくさん読んで偉くなった」と書いている者は、本当は本を読むことに目的がない。このことを知ったうえで、では本を読むのかどうか、他に手段がないのかどうかを見極めることが重要である。
1点だけ注意しておくと、学生時代までは好きな本なら何でもいい、たくさん読むことも有意義だと思っている。広い世界を知るためである。だが、その後はきちんとした目的が求められる。
2017/09/06