怒られるのだろうが、最近の天災の襲来に対する騒ぎ方は異常だと思う。昨日の台風、どう考えても(考えるまでもなくか)、子供の頃の第二室戸台風の比ではない。可愛い台風と言えるだろう。
冷めた言い方をすれば、どんな台風であれ、それが上陸して暴風雨になれば、少なくとも何人かの犠牲者が出かねない。その被害の可能性を自分で判断し、行動できなければ、たとえ天災を運良く免れたとしても、どこかで何らかの災害に遭遇しかねない。
この自己防衛のための行動を、自分自身で考え、決断できるようにすることが大切である。命だけではない。命の次に大切な財産に関しても同じである。
それなのに、「水を飲むときは気管に入らないように注意を」、「風呂に入るときには溺れないように」、「酸素不足にならないように、常に呼吸をして」なんて注意するのが最近の風潮である。
実は、一番目の注意は僕の母親がしていた。正確には「水を飲むとき、喉をつめたらあかんで」と。
そんな、一々指図されないとできないなんて、テレビなどはそう想定しているのだが、人間がAIロボット以下になったということである。
それはともかく、昨日の台風、大したことがなかった。マンションの、それも冬の結露を防ぐために二重硝子した部屋で寝ているせいかもしれない。子供の頃、梅雨の時期に何回か、ザーーっと大雨が降り、その度に大丈夫かなと少しだけ思ったのが懐かしい。すぐに雨音を子守歌に寝てしまったが。
第二室戸台風といい、天災は人間の生きるための本能を養う大切な機会である。
と、ここで「そうか」と悟った。都会のマンションなんていう頑丈な家に住むと、人間が柔になる。柔にならないためには山歩きがいいトレーニングになると。何が生じるか知れないから。何て、最後は我田引水である。
2017/09/18