平成の時代を一言で表現すれば、バブルの絶頂期からの急落の時代だった。日本が世界のナンバーワン寸前にまで達しながらも、その後は後退を続けた時代である。経済規模では中国に抜かれた。質的にはアメリカに引き離されてしまった。
1989年の年末、まさに大納会の日が、日経平均株価が4万円近くの最高値を付けた日だった。東証株価指数(TOPIX)はその少し前に最高値を記録している。いずれにしろ、平成元年はバブルのピークであり、平成の31年間、その年末がピークであり続けた(続ける)。残り1年少しあるが、日経平均株価もTOPIXも、1989年の史上最高値を抜けないままで終わるのはほとんど確実である。
1990年から始まったバブル崩壊だが、それが終わりを告げたのは2003年だった。りそな銀行(大和、協和、埼玉の合併行)が実質国有化されたことにより、1997年から続いた金融システム不安が解消され、日本経済が底打ちした。
とはいえ、バブル崩壊からの10年間以上の歳月は、日本経済を蝕んだ。事業会社の経営者の目が縮小均衡に向き、人員削減をはじめ、リストラによる収益力回復が経営の本筋になってしまった。それにより、世界経済の流れを見逃したのである。これが、情報や通信技術分野での遅れにつながり、アメリカだけではなく、中国を代表とするアジア諸国にまで遅れをとる主因となった。
要するに、日本の大企業から、本当の意味での経営者がほとんど消滅した。日本企業が器用すぎたのだろう。器用だったため、倒産からはうまく逃れたものの、経済環境への積極的な適合と成長を犠牲にしてしまい、平凡な企業に成り下がったとも言える。
この結果、平凡な多くの日本企業は世界経済の流れに流されるだけの存在になった。自分で流れを作ることはもちろん、流れに逆らうことも不可能に近くなった。この日本企業の現実を白日の下にさらしたのが、2007年から始まったサブプライムローン問題と、そのクライマックスとしてのリーマンショックである。
日本企業は大きく翻弄され、リーマンショックからの回復から取り残された。2011年の大震災があったとはいえ、株価の回復力において、日本は欧米に負けた。欧米は、とうの昔にリーマンショック前の高値を抜いている。日本(TOPIX)は、今年になってようやくリーマンショック前の高値に到達した。
まとめれば、平成の時代とは冬の時代だった。明るさが戻ってきたのは平成の終わりになってからである。では、その明るさが本物なのかどうか。
人口の減少と急速な高齢化の進展、財政の大赤字、日銀の異常な金融政策、どれをとっても明るさとはほど遠い。もしも近い将来、アメリカや中国の経済がおかしくなれば、日本経済が直撃される。リーマンショックの二の舞にならないかどうか心配である。
結論である。日本が本物の明るさを取り戻すには、さらに何年もかかるだろう。
2017/12/29