川北英隆のブログ

平成の31年間の時代とは-1

もうじき平成29年が終わる。天皇退位が再来年、平成は31年まで。その後は新しい元号に変わる。僕は団塊の世代のすぐ後で、余程のことがないかぎり1年半は生きるから、昭和、平成、そして新しい元号と、3つを過ごすことになる。
昭和の時代、明治生まれはすごい爺さん婆さんだと思っていた。両親が大正だった。その当時の爺婆の状態を今迎えようとしているとは、つゆとだに思わざりけり、かな。
平成は31年まで数えることになる。とすれば、もうすぐ明ける平成30年は、いわば晦日である。31年の大晦日は平年の1/3くらいで終わってしまう。
それで思い出すのが昭和64年である。西暦1989年の1月7日(土曜日)まで昭和だった。その日(正確には午前6時33分だそうだが)、昭和天皇が死去し(崩御と言うらしい)、翌8日に平成に変わった。
そんなにすばやく「平成」という元号を決めることができたのは、かなり前に原案があったとしか思えない。天皇の死去を前提に次の元号を検討していたとは報じられていないが(その類の報道を知らないだけかもしれないが)、表沙汰にすれば不敬罪だと右翼から攻められることを恐れているのかもしれない。
その昭和最後の日、当時家にいたロッキーという雌猫がグロッキーになった。寒い日だったのに、向かいの空き地でうずくまっていた。家内が急いで救助し、コタツで暖め、獣医に連れて行ったと記憶している。低血糖で動けなくなったとのことだった。わが家にとって、昭和最後の日どころではなかった。
今でも心残りなのは、わずか7日しかなかった昭和64年なのに、どこの山にも登れなかったことである。ロッキーがグロッキーにならなければ、その日、急いでどこかの山に登ったかもと思う。
昭和天皇の葬儀(大喪の礼)の日、平成元年2月24日(金曜日)は、わが家にとっても記念日である。三鷹から国分寺に引っ越した日である。その日は世の中、臨時の休日となった。つまり3連休となった。引っ越しに丁度いい。
問題は、大喪の礼の車は八王子に向かう。引っ越す方向と同じである。ただし、墓に向かう儀式は午後だった。午前に引っ越しすればと思い、当時(今でも?)貧乏だったので車(トラック)を借りた。
知人に運転を依頼したまではよかったが、その知人、何と免許証を紛失したとかで、当日の朝にドタキャン、急遽、別の知人にお願いした。
家内は、当時あったわが家の車で、ロッキーを乗せて引っ越した。そのために、事前に何回か猫を車に乗せて練習をさせた。
昭和天皇を惜しむような、雪空の寒い日だった。気象庁によると、東京の天気は、「雨後曇、あられを伴う」、当日の最低気温2.3度、最高気温5.8度とある。その年の冬、2番目に寒い一日だったようだ。荷物運びの友人が荷台に乗り、警官の多い道路を走った。
思い出すままに書いたら長くなった。とりあえずはここまで。

2017/12/28


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