山中の村が忽然と消えた。まるで「君の名は。」のようだと、11/7のブログに書いた。消えた理由は何なのか、過疎にしては、他の村は残っている。彗星なのか。
高校の同窓会が、白屋岳に登った少し後に開かれた。奈良の高校だから奈良県人が多い。話が通じるだろうと、白屋岳に登ったことと、村の状況を話した。
友達のM君が、「ああなると予想できたのに、ダムを建設した」との主旨のことを話していた。その日は、「そうか」と思うだけで、調べることもしなかった。つい先日、M君の話を思い出し、調べてみた。
と、吉野川上流の入口、大滝ダムができ、貯水の試験を行っていたところ、白屋村の民家や道路に亀裂が走ったとの記述が出てきた。2003年のことだそうだ。
その亀裂が、試験貯水による地滑りだと判明し、「避難生活の後、13世帯は橿原市へ・・12世帯は村内の別の地区へ、残り12世帯は親戚や知人を頼って村外へ出て行った」(2013.03.24読売新聞)とのこと。
http://www.yomiuri.co.jp/local/nara/feature/CO004203/20130323-OYT8T01042.html
M君は橿原に住んでいるから、この白屋村の顛末をよく知っていたのだろう。
村には901年創建とされる白屋八幡神社もあったそうだが、グーグルマップによると、今は「八幡神社跡」となっている。まさに「君の名は。」を彷彿とさせる。
大滝ダムの建設は、1959年の伊勢湾台風を機とする。しかし、当時から吉野川に複数のダム計画があり、水没戸数が多かったこと、以前から地滑りが起きていたことなどから、大滝ダムに対する反対運動が激しかったとされる。ダム本体が完成したのは40年以上経った2002年である。白屋地区の地滑りは、その直後である。どこに起きるかはともかくも、当然に予想されたことだった。そう言える。
素人目だからか、大滝ダムの貯水量は大きくない。多目的ダムとはいえ、発電量は1万キロワット強にすぎない。それでいて、かつて清流だった吉野川の姿が大変貌を遂げてしまった。寂しいかぎりである。
失った物がどの程度の価値なのか。得た物は。国民の負託を受けた国の機関としての国交省は、この収支計算をきちんと行う責務を負っている。
2017/12/11