19日、任天堂の君島社長を京都大学に迎え、90分の講義をしてもらった。大学生にとって一番身近であり、しかも京都に本社がある企業のためか、大盛況だった。60分喋ってもらい、その後30分の質疑を設けたが、学生の挙手が続き、すべての質問を受けきれなかった。
任天堂は僕にとっても身近な企業だった。いつ頃からか、中学生か高校生の頃か、花札とトランプで名前を知っていた。正月の遊びが花札、トランプ、カルタの時代だったので。
大学生のとき、近鉄京都線に乗り、伏見を越えて京都市内に入ると、右手に任天堂の本社が見えたものだ。その頃、任天堂の株式を買おうかなと思わなくもなかったが、業績の変動が大きいので、学生の身分としては躊躇してしまった。残念である。
僕の日本生命時代の上司は、学生の頃(昭和40年代の前半)、京都の北、八瀬の入口にある三宅八幡に下宿していたとのこと。その近くに創業家(山内さん)の家があったらしい。下宿家を含めた近所の評判は、「変わった人」とのことだったと。他人と異なった発想と行動でなければ起業をし、大成しないだろう。
その任天堂のDNAが何なのかを話してほしいと、事前に君島社長にお願いしていた。そのリスエストに応え、当日は入念に準備してもらった。
任天堂のDNAとは、京都の優れた企業に共通する「独創」に加え、次の3つだと、創業家の教えに基づいてまとめられた。「朝令暮改」、「任天」、「分相応」だそうだ。
創業家によると、「朝令暮改」は良い意味を持つ。間違いを潔く認める、もっと良い方法があればそれに乗り換えるなど、変わり身の速さが大切ということか。
任天堂の「任天」は、当然ながら運を天に任すとの意味である。成功と失敗は時の運ではあるものの、運を天に任す前に人事を尽くさなければならないとの意味も込められている。つまり、精一杯やって上手く行かなければ諦められるし、仕方ないとの意味だろう。
「分相応」は文字どおりの意味である。事業は本業周辺に限定する、見栄を張らないなどの意味でもある。
現在の任天堂の事業で一番重要なのはゲームソフトの開発である。その人事やインセンティブ政策に関して、学生から質問があった。任天堂として、ソフト開発者が望む時間、予算、設備など、最高の環境を提供するように努力しているとのことだった。人材の定着率も高いらしい。
技術開発担当の前社長(岩田さん)が亡くなった後、リーダーシップがどのようになったのか、大きく変化したのかとの質問もあった。それに対しては前社長の時代からだろうか、集団指導体制に入っているので、問題ないとの答えだった。
日本での売上が27%、アメリカ大陸42%、欧州26%、残り5%のうちアジアや中東が急速に伸びている。従業員の半数が海外勤務である。これらのことを念頭に置くと、海外市場や文化の把握、コミュニケーションの確立、海賊版対策を含む権利対応などが重要となる。岩田さんのような技術系の社長一人だけで対応しきれないのは確かである。上手く組織を作り上げることがポイントだと思えた。
以上が当日の要点だと思っている。任天堂という見に見えない(見えにくい)企業の実像が少し浮かび上がったように思う。君島社長と高校の同級生だったという秘境な(卑怯ではない)知人、水谷氏に感謝である。
2018/04/21