今日の大機小機「相談役・顧問制度の役割」は筆者「猪突」の馬脚というか猪脚を現した怪コラムだった。猪突が誰かは知らないものの、企業の偉い人なのだろう。本人が書いたのかゴーストライターなのかはわからない。でも、本人がOKを出したのは確かである。
もちろん、相談役や顧問制度にメリットが皆無だとは言わない。考えないといけないのは、時代環境であり、それによってメリットとデメリットの相対的な大きさが変化することである。
相談役や顧問のメリットとして、コラムにあるように、長期的な視点、現役世代の報酬金額の抑制、潔い役員からの退職をメリットとして認めはする。とはいえ、反論も十分にある。
まず、現役世代の報酬金額の抑制効果を主張することは噴飯ものに近い。ちゃんとした給与を支払わないか支払えないことは、優秀な人材の離脱を意味する。今の時代、大企業であっても永続するなんて(定年まで永続する、その後も年金も支払ってもらえるなんて)誰も100%本気で考えていない。ということで、猪突さんは古き良き時代の大企業を過ごした偉い人なのかなと推測する。
長期的な視点というメリットについて、そんなものは寝言に過ぎない。変化の早い時代、誰も5年後や10年後の未来に確信が持てない時代に、年寄りの古い感性に基づく経営や意見が何の役に立つのか。役立ち度がゼロだとは言わない。しかし、経営は結果でしかない。死ぬまで何らかの報酬を払い続けるのは変である。
もしも、相談役や顧問になるべき経営者に十分なセンスがあるのなら、それは経営者のままでいいのではないか。その選択肢なしに相談役や顧問になってもらうというのも変である。
経営の中枢を退いた後も、多少経営に関与してもらいたいのなら、報酬を払って意見を聞きに行けばいいだけである。元のトップとしてきちんとした見解を聞けるはずであるし、言うべき責任がある。逆に、相談役や顧問の立場で毎日会社に来られ、古い感覚で常に意見を言われれば、それも元トップの年寄りとしての意見であれば、かえって迷惑である。もう少し言えば、そんな偏見に満ちた意見を聞くだけ時間がもったいない。
潔い役員からの退職との主張は、トートロジーと言うか何と言うか、付け足しだろう。相談役や顧問の制度のある企業には役員の退職規定もあろうと思う。規定に基づき、社長や会長から退かざるをえない。その代わりに相談役や顧問という役職が与えられている。これが普通だろう。
思うに、相談役や顧問なんていう、みみっちい制度はなしにすればいい。現役時代に能力の出し惜しみをせず、企業の発展を図ってもらいたいものだ。5年かもう少しあれば、経営者の成果は計れる。その代わり、ちゃんとした経営者には何億、何十億という報酬を出してもいいのではないか。コーポレートガバナンス・コードのフォローアップ会議で、僕は日本の経営者の報酬が安すぎると意見を述べたが、誰もフォローしてくれなかった。日本の金銭感覚は低位安定なのか。
良いか悪いかはともかく、環境変化のスピードが速い。かつて日本経済の航海図を描いた経産省にも、現在の環境において未来図がない。そんな中、長期的に成果を出せと言われたところで、どんな優秀な経営者にとっても将来10年のタームではほとんど自信が持てないのではないか。
ということで、ダメ経営者の首の皮をつなぐ、つまり平均的な報酬に収斂させる多くの(例外は認めるものの)日本企業の相談役や顧問制度に、それなりの意義を見いだすのは無理である。
2018/04/26