大君ヶ畑を行き帰りに歩いた。帰りは時間があった。そこで村の暮らしに注目してみた。過疎である。住んでいる家の方が少ないのではないか。そんな中、バスはどうなるのか。
そもそもの村の産業が何であったのか。林業関係がありえる。石灰岩の採石もそうで、今でも鉱山があり、ダンプが走っている。
かなり昔、三重側との交易がある程度仕事になったのだろうか。とはいえ村を通るのは三重と滋賀を結ぶメインの道ではない。かつ山越えはかなり険しい。交易といってもたいしたことがなかったはずだ。
今では産業はないに等しい、バス停で待っていると、道路工事関係者、消防関係者の車がやってきた。消防の車は老人の巡回のためなのか。これ以外に、通行止めとも知らずに入ってくる車は論外である。
今となってはメインの産業となった石灰石の採掘だが、活発だとは到底思えない。
ということで、今はバスが一日複数本走っている大君ヶ畑線だが、さらに言うと地元用の乗り合いタクシーもあるらしいのだが、これらがいつまで続くのか不安になった。実際のところ、近くには廃村がいくつもある。
廃村を止める手段はなかなか見つからない。多賀大社の奥に工業団地があり、名のある企業が工場を持っている。それでも、さらに奥にある大君ヶ畑には何の恩恵も及んでいない。残念である。
バスを待っているとお爺さんが(といっても、僕と年齢に大差ないかもしれないが)、家の庭をうろうろしていた。婆さんはどうしたのか。庭に洗濯物が干してあるから、まだ夫婦で暮らしているのか。それとも爺さんが洗濯機を回したのか。
質問したところで仕方ないから、そのままバスを待っていた。「このバスがあるうちに、今年か来年の春、もう一度登りに来んとあかんな」と思ってしまった。
写真は村の郊外に咲いているケマンである。ムラサキケマンとキケマンがある。タモリではないが、「変な名前」なものの、その由来は不明だ。
追記:ケマンは華鬘(けまん)であり、仏堂内部の装飾品のことだそうだ。草のケマンのどこが似ているのか理解が難しいものの、似ているから名付けられたようだ。
2018/05/03