山を歩くために地方のバスをよく使う。そのバスは瀕死の重傷である。実は京都に引っ越してから10年間ほど、地方のバスをあまり使わなかった。と、その間のギャップを痛切に感じた。
10年間のギャップを間接的に感じたのが人気番組(ただし、かつての?)「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」である。「へえー、バス、そんなに少なかったっけ」と思った。
その番組を見習い、奥地に入るときもタクシーの優先順位を下げてできるだけバスと徒歩を使おうと、かつてのスタンスに戻した。
バス時刻表を調べるのは簡単になった。多くのバス会社が時刻表をネットに上げている。東京に住んでいた頃、バスの時刻表の雑誌を買ったり、電話で問い合わせたりした。その時代と雲泥の差である。
もちろん、ネットの出来映えには大差がある。今まで使った中で京都バス(京都市営バスではない)が一番調べやすかったように思う。土地勘があるからかもしれないが。いずれにせよ、バス会社も他社のサイトを調査して、調べやすさを追求してもらいたい。これが利用者を1人でも増やす第一歩だと思う。
ただし、ネットに入って愕然とすることが多い。本数が極めて少ない。これが普通になった。
通学時間帯(行きと帰り)に合わせてあることが多い。山に入る者として、そのバスに間に合えば、朝は便利である。しかし、帰りが困る。アスファルトの道を駅まで歩くか、タクシーを呼ぶことになる。
それはいい方で、「ローカル路線バス・・の旅」にもあるように、町営や村営のマイクロバス(コミュニティバス)を選択することもままある。使ってみると、爺さん婆さんと一緒のこともあれば、最悪は誰も乗っていないこともある。後者の場合、部外者だけを運んでもらって大変申し訳ないと、七転八倒してしまう。
最近ではこのコミュニティバスもなく、タクシーを予約する方式を採用している村や町も多い。僕としては利用したいのだが、さすがに村や町から補助金が出るとは思えない。そうなると通常のタクシー利用と同じになってしまい、意味がない。
さらには、遠距離のバスが大変なことになっているようだ。かつて鉄道代わりだったバスが消滅寸前である。「ローカル路線バス・・の旅」でもよくあるように、バス路線が分断されてしまい、乗り継がないといけないのだが、その乗り継ぎが大変なことになっている。僕としての当面の課題は十津川や北山川(いずれも紀伊半島)の山に入ることだが、どうしようかというところである(まだ真剣に考えている段階ではないのだが)。
最近の鈴鹿の山歩きでも書いたように、山村が次々に消えようとしている。多分10年後には(つまり団塊の世代が80代になれば)、村や町として、多くの路線でバスを走らせ、もしくはタクシーに補助金を出す必要性が消滅しているだろう。村や町自身が存亡の危機に陥っているのが、その10年後の実態かもしれない。
その頃、僕自身が山を歩けるのかどうかも大問題ながら、それはさておいてということで、バスの未来を少し考えてみた次第である。
2018/05/08