川北英隆のブログ

上目遣いの人達

人間として生きるには何が重要なのか。生きるためなのか。出世なのか。金儲けなのか。昨日今日、いろいろと考えさせられる。結論は、楽しく生きることに尽きるのではないか。
人間が働くのは生きるためである。これは動物共通である。では、生きるために何をしてもいいのか。一般の動物でも自制心がある。動物を差別するわけではないが、一般の動物より知能の高いのが人間だと位置づけているのなら(僕は人間をそこまで特別だとは考えないが)、より自制心を高めなければならない。どの方向に自制心を働かすのかは、倫理感の問題だと考えている。
企業行動においての倫理観は、究極的には顧客目線だろう。政府にあっては国民目線である。
もちろん、企業であれば、顧客のために原価で販売するのがいいのかと言えば、そうではない。企業が生き残るための利益率というものがある。顧客のためになる製品やサービスを提供し、片方で利益を得つつ、新しい製品やサービスを開発し、企業としての永続性を図るのが正しい。究極は顧客のためにもなる。確認しておくと、いずれにせよ出発点は顧客目線にある。
政府の場合、こんなくどい説明は不要である。ずばり、国民目線でしかない。
この点で情けないのは、今の社会は顧客や国民ではなく、上司を意識した行動が圧倒的に多いことだろう。忖度という言葉が流行ったが(まだ流行っているかな)、現状は忖度を超えて「べったり」であり、常にアホ犬のように(犬を悪く言うつもりはないのだが)ご主人様の一挙手一投足を観察している。できれば手足になりたいのだろう。
上司が間違った(たとえば個人の利益を優先し)行動したとしても、それを言い繕うのが部下の仕事だと勘違いしている。この間違った行動を予防し、修正させるために企業内には内部通報制度がある。一方、政府にどの程度内部通報制度が整備されているのかは知らないし、機密保持の観点からどこまで許されるのかも不明である。しかし、内部通報制度が国民目線に沿っているのなら、当然に整備されるべきである。
何を言わんとしているのか、ほぼ自明だろう。ちゃんと答えるべき場で質問されたのなら、顧客や国民のために、はぐらかしなしに答えるべきである。そうでないのなら、「上目遣いだけの人生を送ってきたヤツや」としか思えない。それで事済んだとして、何が楽しいのだろう。有意義な人生だったのか。
もう少し言うと、そもそも上司の歪んだ命令に従い、もしくは上司のそんな意図を察知して行動することからして変なのだが。
道徳(一般化すれば倫理)が教育の中に取り入れられるらしい。道徳を学ぶ子供に笑われないように、組織の上部層も教科書を読み、子供と議論すべきだろう。

2018/05/11


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