昨日聞いた植彌の社長、加藤氏の講演で面白かったのが「第二の奈良化を防ぐ」だった。「奈良みたいになったらあかん」と、京都が危機感を抱いたとの話である。何のことか。
天皇が「ちょっと出かけてくる」と東京に出張したことに始まる。明治維新で皇居が東京に作られ、そこに天皇が移った。この事件と、平城京から平安京へと都が移った歴史とが重ね合わせられ、京都人に危機感を抱かせた。平城京が廃墟となり、奈良の経済力が凋落したからである。
去年7/1に書いたように、琵琶湖からの水を京都に引くための疎水工事も、「奈良みたいになったらあかん」の一環である。疎水の水を使い、南禅寺から召し上げた寺領を工業団地にしようとの計画もあったらしい。結局、その水の一部は水力発電に用いられ、残りが元南禅寺の寺領に出現した別荘群の庭園を潤した。
その庭園を造るのに活躍したのが七代目小川治兵衛であり、昨日の講演でも日本の作園に貢献した3人のうちの1人として登場した。もう2人は夢窓疎石と小堀遠州とのこと。なお、小川治兵衛の家系も京都で「植治」として造園業を営んでいる。
それはともかく、奈良化しなかった京都と、「奈良みたいになったらあかん」と言われた奈良との、風景における差は何なのか。大きいのは庭園の存在ではないかと思う。あまり寺社に興味がないので、そんなに多くを見学したわけでもない(京都でも知らないところがいろいろある)。それでも感じるのは、京都の人工に対する奈良の自然というか「そのまま」である。
作園も人工である。経済が発展し、都市化が進む中で、自然を残し、それを楽しむために庭園が作られた。これが京都である。一方、経済的に取り残された奈良には自然がそのまま残り、庭園の必要がなかった。
典型が奈良公園(東大寺、春日大社、興福寺の寺領を含む)だろう。水はほぼ自然のままに流れ、池に溜まり(一応工事して作ったのだろうが)、鹿がたくさんいて草を食べ(せんべいも食べるかな)、最近では木も食べて食害が問題になるほどで(元々鹿が食べない木が公園内に多く残っていた)、庭園のイメージとはほど遠い。しかも、三笠山や春日山との境も不明である。
どちらが優れているとは言えないと思う(個人的には奈良贔屓だが)。拝観料や見学料の徴収力という経済面では京都の圧勝だろうが。この経済的な差も、多くは観光客が訪れやすいかどうかに、つまり過去から積み重なった交通インフラの差に左右されているのだが。
2018/05/13