5/26の大機小機「独自のガバナンス確立を」(紫野)は企業経営者の声だろう。改訂されるコーポレートガバナンス・コードに対する企業側からの文句であり、よくある誤解と曲解に満ちている。それ故、「独自の」と言いつつ、日本企業の「画一性」に陥っている。
経営戦略について、「事業ポートフォリオの見直し、設備投資、研究開発投資、経営資源配分の見直しの明示・・は秘匿すべき項目も多く、どこまで開示できるか疑問だ」と主張しているが、当然のこととして、コードではそんな細部にわたって開示しろとは誰も言っていないし、考えてもいない。
重要なのは、企業による資本コストの認識であり、そのコストを大きな指針として企業の中長期的なビジョンをいかに描くのかにある。コードとして、今の日本企業に対して強く要請しているのは(暗黙にだが)、無駄な(企業価値を毀損している)事業からの撤退であり、その代わりの事業をどう考えているのかである。企業がその方向性を投資家に示すのなら、それでほぼ十分である。
ついでに書いておく。今、多くの日本企業が抱く大方針は「既存事業の維持もしくは死守」である。とすれば、秘密にすべき経営戦略なんてどこにもないと思える。秘密があるとすれば細かな戦術だけではないだろうか。以上が今の企業に対して抱く投資家の本音というか、感想かもしれない。
次に、経営者の選任、解任手続きである。この点、選任手続きに関して賛成なのか反対なのか、紫野氏の主旨が不明である。一方、解任手続きに関しては不要としている。理由は「前もって基準を設定できないから」らしい。
コードでは解任に関して、そんな具体的な基準を定めろとは書いていない。氏の誤解か曲解である。確認すると、「方針と手続き」としか書いていない。企業のトップが「企業経営を私利私欲のために使うこと」、また「能力に著しく欠けるために経営を傾けること」に対するブレーキが企業組織のどこにあり、どのように作動するのかが示されていればいい。これがコードの主旨だろう。
紫野氏の一番の文句は政策保有株式の縮減方針に向けられているようだ。
コードに「資本コストに見合うかどうかを検証して縮減」と書かれたとし、憤慨しているようだが、これは曲解である。コードの改訂案には、確かに「資本コストに見合っているか」とは書いてあるが、同時に「保有目的が適切か」とも書いてある。
この保有目的に関する点は、僕がコード改訂の会議で主張した点であり、自信を持って言える。つまり、業務提携に伴う株式保有が当然ありうるのだから、短期的な観点からの資本コストだけが政策保有株式の是非を検証するための物差しとはならない。もちろん、長期的には業務提携がもたらした効果と資本コストとを対比しなければいけないが、これは経営者として当然の行為だろう。
ついでに書くと、紫野氏は株式を政策保有する目的として、長期取引のコミットメントを指摘しており、「資本コストだけでは、説明しきれない」とする。しかし、長期取引のコミットメントが目的だったとしても、その効果を資本コストとの対比で測定しない経営者は怠慢だと言わざるをえない。さらに、長期取引のコミットメントと標榜しつつ、実は株式保有先企業の行動を縛っているのなら、強者が弱者の経営を歪めることになり、法的な問題も生じうる。
もう1点、紫野氏はアクティビストなどへの対策として、政策保有株式の意義を指摘している。これは本末転倒だろう。良き経営がありさえすれば、企業が互いに株式を持ち合う必要性はない。株主が満足しているはずだから。逆に経営が良くないために株式を持ち合っているのなら、それは経営者の保身でしかない。
以上、紫野氏が知り合いでないことを祈りつつ書いた。ペンネームに少し引っかかっている。知り合いだとしても、誰かに「書け」と言われた可能性もあろうと、それを僕自身の安心材料ともしている。
今日の大機小機は日本の大企業がよく陥る誤った反論である。そんな反論をする暇があるのなら、コードのコードとしての本質、すなわちコンプライするのか(従うのか)も、エクスプレイするのか(従わない理由を説明するのか)を決めるほうが大切である。これが個性ある企業経営につながる。奇妙なことに、紫野氏の意見と僕の意見は、この最後の点だけ一致している。氏の論理構成、どうなっているのだろうか。
2018/05/27