酒場放浪記ではないが、今月は昔からの店を訪ねてきた。少し前に紹介した中華の慶楽に行き、茅場町の鳥徳という明治以来の焼鳥屋にも行った。参鶏湯のグレイスもそうである。
タモちゃんが、「最近の果物は甘くて・・(あまり美味くない)」とつぶやいていた。確かに最近の果物は糖度の高さだけを自慢にしている。
何故、そんな果物のことを思い出したのか。実は今日、カリフォルニアで買ってきたワインの残り(白)を飲んだ。買って最初に飲んだときは「高くなくて美味い」と思ったのだが、2回目には「美味いけど、甘みが勝っていて酸味や渋味が少ない」と思った。今回(3回目)も同じ印象を受け、日本の果物のことを思い出した次第である。
食べ物の美味さはバランスである。甘みが勝ちすぎるのも良くない。糖度が高いと、要するに砂糖を舐めるのに似てくる。
同様に、最近の料理は見た目を重視しすぎているのではないか。とくに日本流のフランス料理やイタリア料理はやたらと皿を飾る。そんなのを目にする度にいつも思うのは、「飾りでは腹が満ちない」である。料理の基本は腹が満ちることにある。ということは、野暮ったさが(野趣と言うべきか)がなければならない。
野菜も酒もそうである。美しくなろうとするあまり、個性が消えてしまっている。個性こそが食べ物、飲み物の命だろう。
もう1つ思い出したのが、ふるさと納税でもらったアスパラである。これが美味かった。「都会の八百屋で買うアスパラって何なのか、ほんまに野菜かいな」と思う。採ってからの時間の差だろう。店に並ぶまでにいじりすぎかもしれない。
もう少し書くと、アスパラの穂先が今まで好きだった。というか、そこが美味いと思っていた。ところが、ふるさと納税のアスパラは穂先よりも茎の方が美味かった。瑞々しい食感と香りがある。
かつて三鷹や国分寺に住んでいた頃、近くの農家が無人の野菜販売所を設けていた。母親の実家が農業をしっかりやっていた頃はその野菜が時々送られてきた。それら本物の野菜をパクパク食べたのだが。
思うに、都会生活に慣れてしまうと本物の食べ物の味から遠ざかり、偽物に近いものを本物だと思ってしまうのではないか。慶楽、鳥徳、グレイスは昔の味を残している。それに対してファミレスやファーストフードに慣れ親しむと、かえって自然の味が嫌味になるのかもしれず、どうしても没個性に走るのかもしれない。
日本の良き伝統はどこに行ったのか。日本の食文化が新旧交代している、変な風に都会化し西洋化していると思えて仕方ない。
2018/05/30