川北英隆のブログ

京都の和食は最低だったりして

日本食が好きである。とくに野菜と魚かな。油揚げも(コン)。母親の実家が農家だったこともあり、子供の頃から食卓に野菜が豊富だった。丼鉢に山盛り、そのくらい食べた。
今日、奈良の実家に帰り、以前に紹介した山根の蒲鉾屋で食材を買って帰った。山根では、蒲鉾は年末などの特別な時にしか作らないらしい(これも以前に書いた?)。今日売っていたのはごぼう天と、ショウガ、キクラゲ、エンドウ豆の入った平たい天ぷら(関東でいうさつま揚げ)である。これらが美味かったのは言うまでもないことで、家で話題になったのは「何で蒲鉾が売れへんのか」である。蒲鉾も魚の一種なのに。
蒲鉾を日常食べるのは、うどんか板ワサか、そんなのだろうが、日本ではその食文化が消えつつあるのかもしれない。家でうどんを作るなんて、どの程度やっているのか。実はわが家ではやっている(といっても僕ではないが)。出汁だけは買ってくることが多い。
いずれにせよ、最近の普通の家庭は西洋化、インスタント化しすぎているのではないか。そうすると野菜も少なくなる。
和食には野菜が重要である。その野菜といえば、京野菜というブランドにも疑問を感じている。
思うに(個人の感想でしかないながら)、京都の普通の八百屋の野菜は最悪だと思っている。高くて、収穫してから時間が経過していて、「固くて不味い」の典型だろう。
もちろん金を出せば本物の京野菜なるものが手に入るのかもしれないし、料理屋で京野菜なるものが出てくる。でも、鶏の餌くらいしか量がない。「こっちは人間や、だますなや」というところだ。「野菜はたらふく食べるもんやろ」とも。
京都の懐石は東京と比べて安くて美味いと思っている。しかし、一般の和食は、野菜の点でどうなのか。茄子や筍は勝っていると思う。しかし、その他は完敗に近いのではないか。松茸はと問われるかもしれないが、そんなのを普通は食べないし。
もう少し工夫しろやというのが、京都の野菜に関する本音である。料理屋が悪いわけではなく、量と質のバランスを考えない八百屋というか店屋が悪いのだろうが。

2018/06/06


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