例外はあると断りつつ書くと、老人雇用は日本の残業と同じであると思ってしまった。会社にいることが善だという風潮の延長にすぎない。働くべき時にしっかり働き、しっかり稼ぐ。会社はそれにしっかり報いる。この当然の仕組みが日本社会に欠落している。
政治家も、企業の顧問も、老人が多いため、そんな偉い人が老人雇用を問題にしていないだけである。かえって「老人が働いたらいい」と独断しているのかもしれない。でも、それがいかに迷惑で逆効果なのか、このことは前回に書いた。
老人がだらだらと働いている姿を想像すると、牛の涎のように(ウシさんに謝らないといけないながら)だらだらと遅くまで職場に残っている者のイメージと重なる。「何してるの」と近寄ってくる同僚か、「○○君、ちょっと」と大した用でもないのに呼びつける上司の姿である。最悪は、「あっ、まだいたの。せやったら、これも頼むわ」と言いつける輩だろうか。
「こっちは忙しいのや」と思うが、毎回つっけんどんに対応するわけにもいかない。そこで僕が編み出した秘伝の格言は、「会社で残業すると仕事が増える」である。今は「何でもパソコンで仕事」の時代になり、家に資料と仕事を持ち帰るのは大変らしい。ご愁傷さまである。
残業込みで本音ベースの給与体系ができあがっている会社なんて最低、最悪だろう。残業制限がかかった瞬間に給与が下がるなんて、どういう会社か。残業を減らし、疲れを貯めずに翌日も元気に仕事をしてもらったら、会社としても嬉しいはず。仕事の質が上がり会社としても儲かるのではないか。
勤務時間に能力を100%出してもらう。若いうちにバリバリ仕事をしてもらう。その仕事に十二分に報いる。家に帰って家族での生活を楽しんでもらい、リタイアして80歳までの健康寿命を楽しんでもらう。これが本来の社会のあり方だろう。
人生100年時代の老人雇用政策は、要するに普通人はロボットになれと言っているに等しい。働くだけ働き、壊れたら(動けなくなったら)、修理工場(病院)に送られる。ロボットでない唯一の証拠は、廃棄処分にならずに介護施設行きってとこが関の山か。そのうち、介護施設が不足して入れなくなり(今でもそうかな)、そのまま野ざらしで放置となるかもしれないが。
そのロボット人生も、傍から「よう働いて感心」と言われればまだしも、「狂ったロボットや」と言われる可能性がある。「あんなんに関わらん方がええ」、「仕事を頼まんのが一番や」と言われるかもしれず、悲しいかぎりである。
そうそう、そんなロボットがあんなロボットの面倒をみる、それが老々介護かな。政府のキャッチフレーズとその場での思いつきとパッチワークだけの今の日本社会、どうなるのかと本当に心配である。現場をよく観察したうえで、全体像を要領よく描き、政策を打ち出してほしいものだ。
2018/06/12