川北英隆のブログ

ポルトガルのアゾレス諸島

アゾレス諸島に出かけた。「アゾレス諸島って」との質問がほぼ必然だろう。ポルトガルである。と説明しても、「ヨーロッパ地図にそんな島の集団はなかった」というところか。アゾレス諸島とは大西洋上の島、ポルトガルから1400キロ以上離れている。
どうやって日本から行くのか。ヨーロッパから飛行機の便があるらしいが、一番多いのは当然、ポルトガルの首都、リスボンからである。そのリスボンへ日本からの直行便はない。今回はドバイ経由、リスボン経由でアゾレス諸島に渡った。
そのリスボンからアゾレス諸島への乗り継ぎは良くない。行きも帰りもリスボンでたっぷりと時間がある。そこで、ポルトガル経済の一端にも触れることができる。
アゾレス諸島はヨーロッパからの「近さ」もあり、大西洋とアメリカの中継基地となった。グーグルマップで測ると、リスボンからワシントンまでの距離は最短で5500キロ程度ある。その1/3くらいの距離にアゾレス諸島が位置している計算になる。
ちなみに、同じ大西洋にあるバミューダ諸島(イギリス領)まで、リスボンからは5000キロあるから、アゾレス諸島の近さがわかる。アメリカ本土とバミューダ諸島までは1200キロくらいある。アゾレス諸島もバミューダ諸島も、大西洋上の中継基地として重要だった理由が少し理解できる。
第二次世界大戦において、当初、ポルトガルは中立的な立場を選択したが、そのうちに連合国側に付き、アゾレス諸島を空軍の中継基地として提供したとのことである。
ポルトガルはスペインとともに大航海時代の幕を開け、世界の歴史を変えた国である。ポルトガル人がそのついでに日本の鉄砲をもたらしたことも歴史で習う。もっとも、この事実はポルトガルにとって重要ではない。ブラジルがポルトガルの植民地だった、この事実が最重要である。というか、国内にこれといった産業の育たなかったポルトガル本国にとって、ブラジルはかぎりなく広くて新しい天地だった。
では現在はというと、産業は依然育っていない。有名な産物としてワインやコルクを挙げられるものの、国土面積が日本の1/4かつ平地が多くないため、農業の規模も零細である。結果として、1人当たり国民所得は19000ドル程度である。これは日本の半分強、韓国の7割、ヨーロッパではチェコより少し高い水準である。
豊かではないが貧しくもない。過去の蓄積もそれなりにある。気候はというと、大西洋に面し、緯度も比較的低くて温暖である。物価も安い。垣間見たかぎり、住みやすい国のようだ。

2018/07/15


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