昨日、企業のESG活動の映像をギャラリー化している団体の専務理事と話をした。彼が某役所に出向き、企業のエコ活動を含めて「役所のサイトからリンクを」と要望したところ、返ってきた返答が、日本のネット音痴を代表するようなものだった(僕の感想)。
某専務理事の団体は技術者をコアとする由緒ある団体である。「どこの馬の骨かどうかわからん」という理由でリンクを拒否できるとは到底思えない。拒否の理由は、「役所に来てもらえればいくらでも情報を提供するし、提供できる」とのこと。この一言で、何十年も前(1980年前後)の日本の役所がそうだったと思い出した。
何十年も前、ネットがなかったから、民間人は公的な発表資料を入手するため、役所の窓口に出掛けたものだ。僕は「一秒早く知ったとして、経済や企業の本質に大きな影響はない」と考えていたから(そんな命を削るような努力なんてしたくないというのが本音かも)、役所の窓口を訪れたことはなかったが。
今の世の中が便利になったと思うのは、そういう資料がネットで即時に入手できることである。公表の日時があらかじめ知らされているから、その直前、役所のHPにアクセスすればいい。今でも「即時性がどうした」との疑問がそのまま残っているものの、そんな疑問を感じなければ、どこからでも(ネットさえ繋がれば山の上であろうとも)、いつでも情報を入手できる。
この現実を今回の某役所が認識しているのかどうか。ちゃんとした団体からの提案なのだから、真面目に検討すべきである。それを「役所に来てもらえれば大丈夫」というのは、40年近く前の社会に戻れと言うに等しい。「ほんまに生きてるんかいな、目を見開いて社会を観察しているのかいな」との疑念が生じる。
言い出せばきりがないものの、日本のタクシーにシェア文化が入らないのは、とどのつまりタクシー業界のためであり、国民のためではない。この結果、世界のシェア産業の動向から日本が取り残されてしまった。
今回のESG活動の映像ギャラリー化と、それへのリンクの問題は、ネット社会の初歩も初歩である。ちゃんとした団体が映像をギャラリー化し、そこに「リンクを張っていいよ(正確には張ってください)」と言っているだけなのだから、第一段階として品質をチェックし、要望があればその事項を伝え、その上でリンクを張ればいいだけではないのか。
日本の役人が劣化しているのか、日本人全体にほぼ共通した問題なのか。この点を議論しなければならない。
もしも根本的な原因が、誰も新しいことをやりたくない、新しいことをやって問題が生じれば責任を問われる、そういう後ろ向き姿勢にあるのなら、日本社会の発展はないだろうなと思ってしまう。
2018/08/31