関西を台風21号が通過した直後、北海道胆振を震源とする大きな地震が起こった。人間の記憶は時間と刺激の強さに関係する。この点で台風21号は神田川的に忘れられつつある。
胆振地区、厚真町の山崩れは凄まじい。映像で見るだけだが、あれだけの山崩れが起きるのだから、過去にも同じことがあったのではと思えてならない。その痕跡を今まで誰も見つけられなかったのか。
関空の水没が人災だとすれば、厚真町の山崩れは天災そのものだと思える。山崩れの痕跡があったとしても、誰も調査してこなかったに違いない。
そんな鮮明な北海道胆振地方の地震に目を奪われていたここ一両日、ネットで台風21号に関するニュースをみつけた。京都新聞の記事である。
さすが京都新聞は地元から目を離さなかったわけだ。そのニュースの見出しには「戦後最強暴風」とあり、室戸台風に匹敵したとある。
https://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20180909000022
それによると、(台風が通過した)4日の最大瞬間風速は、京都市で39.4メートル、彦根市で46.2メートルだったらしい。京都市は室戸台風(1934年)に次ぐ観測史上2位、彦根市はジェーン台風(1950年)を超えて観測史上1位の風速だったとか。
この強い風は、ある程度予測できた。「台風が(室戸台風や第二室戸台風(1961年)と同じように)京都の西側を通ったこと」と、「台風の進行速度が時速55キロ以上だったため、(台風の東側で、進行方向と同じ方向に吹く)風の速度が強まったこと」による。
確かに風は強かったが、生涯で一番怖かった第二室戸と比べるには、可愛そうなほどに弱かった。郡山の実家の被害状況を調べにも行ったが、拍子抜けするほどの「被害なし」だった。近鉄郡山駅に降り、すぐに近所を見渡したところ、被害の様子が何もなかった。だから、その時点で安心してしまった。
第二室戸のときはというと、実家の縁側のガラス戸が弓なりになったので、子供の手で必死に抑えていた。隣の家の瓦が爆弾のように降り注ぎ、実家の屋根に穴が空いたため、雨水が滝のように流れ込んだ。その経験の再現とはならなかった。今はマンションに住んでいるので、平屋だった実家と比べても仕方ないのだが。
台風が通過に際して与える被害の大きさは、台風の中心までの距離、風速、雨量、そして暴風雨が続く時間、これらの関数である。台風の速度が速いと、中心が通る東側での風速は強まるだろうが、台風が通過するのに要する時間は短くなる。
速度が速いことは被害を大きくする要素と小さくする要素を併せ持っている。ニュースにおいて、この時間の観点から、台風の強さに関する言及がないのは残念である。
2018/09/09