事前にあまり調べなかったため、栂尾山から横尾山が湘南アルプスの核心部だとは知らなかった。せいぜい300メートルの山並みがアルプスとはオーバーな程度に思っていた。
まず、栂尾山へはほぼ一直線の階段の道が続く。階段が終わり、林の中に入るとすぐに山頂(274メートル)である。高倉台の標高は120メートルくらいか。
林の中を横尾山(342メートル)へと登る。本日の最高点である。展望は少ない。
頂上から道が東に向き、花崗岩が露出する下りになる。鎖、梯子が設置されている。下り切ると馬ノ背の表示がある。この先、尾根が痩せている。花崗岩のザレに足を取られないように慎重に渡る。後は大したことなく、小ピーク(東山)に登り着く。この登りから見た馬ノ背と横尾山は迫力がある(写真)。
東山から北に折れ、下ると横尾団地である。団地から高取山入口までがややこしいものの、道標を見落とさないように歩く。概略、団地の西側を回り込み、階段の設置された裏道を歩き、妙法寺の横を通る。信号機のある車道を横断し、少し上ると民家の中の道に入るよう、標識がある。
民家を過ぎ、畑の横を歩き、小さな沢を渡るとようやく高取山(328メートル)への登りとなる。登り口の標高が90メートル程度だから、高度差200メートル強を急登する。
高取山のピークは2つに分かれている。手前のピーク、神社の横に三角点(312.8メートル)がある。奥のピークのほうが少し高い。神社の階段を上がると、その少し上が最高点である。
下りは神社への参道である。急な階段の道で疲れる。
民家に出た後、鵯越駅まではややこしいが、やはり道標がある。下り切ると信号機のある車道である。それを横断し、尾根を越え、川に出て、もう一度尾根を越えると駅である。この間、民家が続く。
鵯越の付近には源平町の地名もある。横尾には那須与一の墓があるらしい。この付近は六甲の東端、港にも近い。源義経が奇襲攻撃を加えた一ノ谷の合戦は須磨に陣を構えていた平家が敗走する発端となった。確かに低山とはいえ、花崗岩質の険しい山だった。そこを下って奇襲したのだから、平家が慌てたのはわかる。
2019/01/07