またまた休み方の話題で申し訳ないながらも、この12-14日の3連休に錦近辺を歩きつつ、「日本は無駄なことをしている」、「お仕着せでしか行動できないのか」と思った。
京都のインフラ(つまり、宿泊場所、バス、店、錦などの通り)がパンクしていることは何回か書いた。ましてや、3連休ともなると、錦(東西の通り)を、車はもちろん、歩いて南北に横切るのさえ大変である。
錦が近所だからと、油断して食材の買い物をしに行こうとすると、目当ての食料品店にたどり着くだけでも疲れるだろう。昔からある食料品店が店舗を縮小し、なくなり、その代りに土産物屋に近い店が新規開店する。この傾向が続けば、錦というブランド価値が落ちてしまう。これに対して市は何の対策も打っていないのではないか。
そんなこんなで思うのは、日本の休暇制度が変で、偉い人が(多分)誰も文句を付けていないことである。何が変なのか。
1つは、祝祭日を月曜日に寄せる政策である。もう1つは、有給休暇制度を活用できていないことである。
祝祭日を月曜日に寄せるのは、有給休暇を自由に取れないことを前提にしている。その制度が導入された時には、少しだが怒った。
その以前、祝祭日が水曜日に来ないかぎり、有給休暇を1日使えば少し長い休みにできた。国内旅行なら十分な長さだろう。しかし、祝祭日を月曜日に寄せられれば、「もう1日休ませて」とは言いにくいし、相手も「何でそこまで休むの」と質問しやすくなる。より重要なのは、日本中が一斉に休みになると、電車や旅館の予約がタイトになる。山も混む。
有給休暇制度を活用できるのなら、また活用したいのなら、祝祭日が月曜日に集まらないことを望むはずである。とすれば、祝祭日を月曜日に寄せる政策はサラリーマンを馬鹿にしている。働き方改革を推進するのであれば、祝祭日の制度を元に戻すべきである。
そもそも製造業の現場は知らないものの、デスクワークにおいて「ここで休んだら仕事が回らなくなる」と考えるのは、自己評価ができていない証拠だろう。ある意味で自惚れである。誰かが適当にカバーしてくれるし、創造的な仕事になればなるほど、机に向かう必要などなくなる。もちろん、働くときには徹底的に働く必要が出てくるのだが。
かつての日本は経営者も従業員も手足を動かして働いた。生産量が、売上高が労働時間に大きく左右された。そうすると、休まないことが企業の成長のために必要となる。その感覚を引きずり、今でも休まないことが美徳とされるのだろう。
では、今はどうなのか。手作業の仕事は残る。しかし、名人級、美術品級などの仕事はともかく、日本で手足を動かし、一生懸命に働いても発展途上国の安い労働力に勝てない。勝つためには工夫と独創性が必要になる。名人級、美術品級の仕事も、そこに創意があるから勝ち残ったのである。
そんな新たなステージに入っている日本で、自由に休みも取らない、お仕着せの祝祭日だけで満足している、果ては「上司が残っているから良い子ぶって残っている」なんて、どう評価すればいいのだろうか。仕事ができないから、長時間職場にいるだけではないのか。
僕が経営者や上司であれば、そういう部下を真っ先に降格もしくは解雇候補にリストアップし、面談し、自主性と創意工夫の能力があるのかどうかテストするだろう。これは半分冗談として、日本の経営者は「日本で働くとは、どういうことなのか」もっと真剣に考えるべきである。
2019/01/15