イギリスのEU離脱(ブレグジット)がもめている。混迷と表現した方がいいか。もう一度、国民投票を実施してブレグジットの是非を問うべきだとの意見が強まっている。問題は、同じ投票を何回もやることの大義名分である。思うに、大阪都構想に似ている。
ブレグジットは前イギリス首相キャメロンの自信過剰が底流にあったとされる。「ブレグジット派が国民の多数を占めるはずがない」とたかをくくっていたのだが、「まさか」が生じた。
金融や自動車製造のイギリスからの撤退、物や人の流れに対する弊害予想などを目の当たりにすると、イギリス国民の間にはブレグジットが正しかったのかどうかの疑問が強まっているのではなかろうか(単なる推測)。イギリスの威信と経済的後退とのどちらを採るかの選択でもある。国の威信なんて何の足しになるのかと思うのは、外部者の意見でしかないだろうか。
大阪都構想も、もちろん府と市の二重行政を解消し、行政の効率化を狙っている。「でも」と思うことがある。要するに大阪府知事や大阪市長の人気取りというか、モニュメント作りの意味が裏にあっての構想だろう。
その都構想の是非を問う投票が2015年に行われ、否決された。これを受け、再度構想が練り直されているとか。どこかでもう一度、大阪都構想の是非を問いたいのだろう。
大阪での講演会の後、ブレグジットがどうなるのか、意見交換となった。その時、国民投票が再度行われるのかどうかという議論になったので、「大阪都構想の再投票もありうるしね」とつぶやいた。大笑いになった。
喋っていた相手は笑った後、「大阪としての二重行政の無駄の解消」を説明してくれた。都構想に賛成らしい。
でも、府と市が都と区になったとして、どの程度の無駄が解消されるのだろうか。区長や区議会議員が小物だから、大阪市のようには知事と都議会の権限に逆らえなくなるのか。そうかもしれないが、だとすれば、区民に対するサービスの質が劣化するかもしれない。
元大阪府民で市民だった家内は大反対である。議論するための費用さえもったいない。ましてや投票のための費用をどうするのかと息巻いている。
行政は形作りではない。構成員(国民や府民もしくは)のために、実質的に何をどのように効率的に行うかであるべきだろう。その行政の実績と効率性を数値で正しく開示することに尽きる。それができていないから、政治家のエゴや感覚だけで行政の方針が組み立てられてしまい、その尻拭いを構成員が押しつけられるのである。
大阪都構想に関して再度の投票があるのだろうか。イギリスにその動きを教えてやりたいものだ。大喜びするのか、「ふん」と横を向かれるのか。多分後者なのだろうが。
2019/01/19