最近、いろんなところで議論をし、意見を聞いて思うことがある。それは日本の経営の特徴であり、日本企業がいろんな場面で敗退してきた原因である。何故なのか。
日産自動車の事件が勃発した。何が事件の核心で、どう進展していくのかは不明ながら、ゴーンという突出した経営者が潰れかかっていた日産を再建し、やがてワンマン的な経営に陥り、最後に誰かに裏切られたか刺されたのは確かである。
こう書くとゴーンの一人芝居なようだが、本質は、ダメ企業だった日産があり、ダメ経営者というか経営陣があって、ゴーンに助けられたものの、その後はゴーンを制御できなかったし、しようとしなかったことではないのか。要するにゴーンの一人芝居を支えた多数の配役や裏方がいた。
その配役と裏方を一言で表現すれば、日本的経営である。
サラリーマン経営者がいて、(表面上だが)仲良く合議し、その背後に銀行や業界団体や政府が舅や姑よろしく、あれこれと口出しする。従業員と労働組合も口を出す。その口出しがある度、経営者は鳩首会議を行い、あれこれ迷い、悩んだ末に意思決定する。丸く治める、いわば調和的な経営である。
その陰で、口を出さない株主が無視されてきた。中小企業やベンチャー企業もそうである。弱い者、部外者に対して冷たい、偉そうにする経営でもある。
日本的経営の長所は、知識を集められることにある。欧米の先進的な企業がどう経営をしていて、どのような製品をどのように作り、販売しているのか。それを効率よく学べることでもあった。よく言われるように、欧米企業にキャッチアップする過程では意味があった。また、日本国内での大企業をますます大きくするにも適していた。
しかし、日本が欧米にキャッチアップした瞬間、この日本的経営が壁にぶつかり、足かせになったのは当然だろう。日本国内の消費が飽和し、人口も減少時代になると、日本国内で通用した日本的経営も飽和した。仕方なしに海外に出て行く段になると、彼の地では調和的経営が成り立たない。そもそも調和の努力をしようにも、言葉の壁が大きかっただろう。
日本的経営の弱点は、鳩首会議では意思決定がきわめて遅くなること、策が打ち出せない可能性があること、策を打ち出したとしても平凡なものに終わること、その打ち出した策が無用の長物になりかねないことだろう。裏を返すと、斬新かつ耳目を引き付ける製品やサービスが生み出されず、突出して優れた経営ができないことである。当然、ベンチャーも育ちにくい。
以上の日本的経営が、激しく変化する、複雑かつグローバル展開の時代に取り残されたのは当然である。半導体、情報はもちろん、家電でさえ遅れを取ってしまった。
では、優れた経営とは何なのか。優れた技術、情報処理能力、適切なサービスを基盤にしつつ、意思決定が速く、断固としてリスクを取り、組織を鼓舞しつつ、その能力を最大限に発揮させる経営だろう。そのためには、ゴーン的な人並み外れた能力、カリスマ性、意志力が必要になる。多くのオーナー企業が優れた業績を挙げているのも、ゴーン的な経営を実践しているからだろう。
もっとも、ゴーン的経営が暴走するリスクには十分注意を払う必要がある。カリスマ性だけを取り上げても、暴走と裏腹だと理解できよう。
そうだとすれば、暴走を防ぐ仕組みを同時に作っておかないといけない。日産の場合、本当かどうかはともかく、ゴーンの報酬額でさえ側近以外、誰も知らなかったというのは、いかにも杜撰である。ゴーンが暴走していることさえ知らなかったと白状している(そう言い訳している)に等しい。
言い換えれば、日本的経営に染まりすぎていたから、トップが暴走するとは想像すらしなかったのだろうか。そうとしか思えない。
あまりにも情けない組織や経営陣がゴーンを取り巻いていたのだろう。南無。
2019/01/25