川北英隆のブログ

みんなと同じでは存在意義なし

飲み会があった。京都大学経営管理大学院の私的な集まりである。日本生命から2年に1回派遣してもらっているので、その関係者がメンバーだった。いろんな話題が登場したが、最後は「根っからの京大生は面白い=平均値ではない」と、僕は思った。
全員で10名だった。ファイナンスの専攻者である。ゼミに属していてよく知っているのから、講義に出席した程度のまで、いろいろだった。とはいえ、全員が経営管理大学院という統一性のおかげで、話題の軸が極端にまで大きく振れなかった。
話題が収れんしたのは「京都大学」だった。今の日本生命の社長も会長も京都大学の出身者である。「京都大学の卒業生が社長になるなんて、変わってるよね」との思いから始まり、そういえば今月の日経「私の履歴書」も京大卒の社長だと話題が展開した。
その点、飲み会の10名の中に、根っから京都大学に染まっているのは1名だけだった。僕を入れると2名か。
その1名、能力がどうかはともかくとして(少なくとも平均以上なのだが、いろいろと波及するのであえて評価しないし、少なくとも他にも優れたのがいるのだが)、学生時代から変わっているという意味で目立っていた。どう変わっているのかと問われれば、うまく答えられないものの、他の学生とは異なっていた。
もう1名、話題に登場したのが、これは以前に書いたのだが、45歳くらいでサラリーマンを辞め、医者になり、北海道で勤務医として働いているのも根っからの京都大学工学部の学生だった。ちゃんとやっていそうだから感心なのだが、サラリーマン時代は「そんな適当に発言、行動してて、どうするんや」と、僕でさえ心配になったくらいである。繰り返しながら、やはり心配である。医者としてちゃんとやってるのだろうか。多分大丈夫なのだろうが。
京都大学の特徴は、性格も能力も多様だということだろう。平均値付近に比較的集まっている東大との比較において、そう思う。この多様性が京大卒業の魅力である。残念ながら、この特性が今、どの程度残っているのかどうか、とくに文系においてどうなのか、大いに疑問なのだが。
多様性は進歩のための必要条件である。一律かつ単調では(正しい表現かどうかはともかく)、恐竜と同様、絶滅への一本道である。多様でないと、革新は生まれない。経営者などの偉い人が「右向け」と号令したとしても、右に真実があるとは断定できない。左か、上か、下か、斜めか、どこに何があるのか、誰にもわからない。この意味で、京大生は変わっていて、へそ曲がりである。つまり言われたことを疑うことから始める。これが重要だろう。
残念ながら、その京大生も従順化してきている。「羊になるな、虎になれ」、「右と言われれば左を向け、少なくとも左を探れ」と、元気のいい京大生にはささやいておきたいし、実際にもそうしている。

2019/04/22


トップへ戻る