就職をどうするのか。学生生活が終わりに近づくと、否が応でも考えないといけない。親が裕福なら、適当に過ごす手もあるが、普通はそうはいかない。ネットを見ていると、今の学生は「安定した就職先、企業」を希望しているらしい。
46年前の今頃、僕も就職活動をしていた。終盤だったか。親が大富豪でないこと、長男であることを少しばかり恨んだりもした。
親が大富豪であれば無理に働かなくてもいい。長男でなければ適当に生活すること、好きな方面にイチかバチか進むこともすんなりと許されただろう。加えて、残念ながら僕には関西人というか商売人の血が流れていたから、貧乏生活を老年になるまで(ひょっとして死ぬまで)延々続けることには大いなる抵抗があった。
当時、就職先の選択基準は「株式投資」だった。結局のところ就職した日本生命もこの「株式投資」で決めたのだが、裏の事情もあった。当時、始業時間が9時15分、就業時間が16時45分だった。これも魅力だった。
就職した結果はどうだったのか。生涯において、株式を含めた証券投資関連部門に配属されたのは、同期入社の5%程度だったか。この点で、僕は幸運だった。
証券投資関係の知識があったことがプラスだったのだろうが、営業のセンスがないと思われたことから(そんな面倒なことは、できることならしたくなかったから、多分そうだろう)、本流部門に配属されなかった。要するに中途半端だったから、資金運用部門しか経験しなかった(経験させてもらえなかった)。
優雅そうな勤務時間がどうなったのかといえば、入社して3年目くらいまではまさに天国だったのだが、その後はそんな勤務で済むはずがない。同期はサービス残業も強いられたはずだ。僕は、以前に書いたように上司より早く帰り、有休も3/4程度消化し(それでも100%は無理)、配属部門が要求する水準よりも「少しだけプラスの成果を示すこと」をモットーとしていた。実はこのモットー、今はもう忘れられたかもしれない栃錦のモットーでもあった。
以上、就職とは、当初の思い通りにはならない。今、安定を意識して就職したところで、それは幻影でしかないだろう。
僕が就活していた時代の安定的業種の最たるものは、電力、ガス、電鉄、鉄鋼だろう。今はどうなっただろう。
敗戦直後に遡れば、石炭、生糸、紡績(綿)、石油化学、造船などを卒業生が目指したと聞く。僕の時代にも、そんな同期が依然としていた。銀行は敗戦後から憧れであり、僕らの時代も圧倒的人気だった。僕は銀行にあまり憧れがなく、もしも就職するとすれば地銀かなと思っていたが。
これらの職業、今はどうなのか。そこに就職したいと思うかどうかである。
書き忘れだが、大手商社をはじめ、個別企業にまで踏み込めば、当時も今もずっと人気の企業がある。でも、それらの企業、のんびりと仕事をさせてくれるのだろうか。それらの企業で仕事をしていないので不明だが、のんびりと仕事をさせてきたのでは、どこかで消えていたに違いない。そう僕は思う。
2019/05/19