川北英隆のブログ

金融リテラシーと家庭環境

流行りの言葉が好きではないから、金融リテラシーという表現も好みでない。とはいえ、「金銭感覚」なんて書くとゼニの亡者みたいなのか、上品には金融リテラシーなのだろう。
もう少し嫌味的に書けば、金融リテラシーを多用する者には、そのリテラシーというか、知識と活用力のレベルに多少の疑問符が付きかねない。そもそも、流行に左右されること自身、株式投資に向いていないと思っている。
そんなことはともかく、僕自身は株式投資の環境で育ってきた。
僕の父親はビルマから帰還し、しはらく路頭に迷って郡山のメリヤス工場で働いていた。そのメリヤス工場は資産家の経営で(当時、繊維を取り扱う業者の大抵は大儲けをしていた)、その経営者は株式に投資していた。期末に配当関係の書類が郵送されてくる。それを見て、株式というものがあるのを知った父親も株式投資を始めた。この結果、僕の家庭環境にも株式投資が入り込んでいた。
小学生時代の友人も株式投資が大好きだった。放課後、その友人宅で遊んでいると、夕刊が届く。その株式欄を開き、今日の株価がどうなったと話すこともあった。友人宅が資産家だったので、そういうことになった。
ついでに書くと、僕の父親はメリヤスを入れる紙箱を作っていた(当時のメリヤスなどの繊維製品は高価だったから、立派な箱に収まっていた)。つまり商売をしていたから、また家が狭かったから、納品書、請求書、集金した後の小切手や手形が身近にあった。このため金銭感覚がどうしても育まれる。今のサラリーマンの家庭はキャッシュレスだから、かわいそうだと思う。そのうち1万円札も「それ何」となるのだろうか。
母親の実家にお盆などに帰ると、そこには見慣れない新聞があった。日本経済新聞である。わが家は産業経済新聞だった。内容的に日本経済新聞が濃い。亡くなった清水勇叔父さんが読んでいた。
清水家では僕の父親から株式というものがあることを教わり、株式に投資をしていた。聞いていないが、そのために日本経済新聞を購読していたのだと思う。わが家では夕刊の小説を読むために父親が産業経済新聞を愛読していたのだが。
大学生になり、下宿をして、僕自身は日本経済新聞を購読した。もう一人の下宿生が赤旗を購読していた。この2つの新聞が下宿屋のテーブルの上にあったのは、少し異様だったかもしれない。
いずれにしても、金銭感覚は環境に大きく左右される。
1975年までの株式投資は長期投資で稼ぐことができた。日本経済が拡張していたから、電力株でさえ、設備投資のために株主割当増資を額面で行い、株主に大いに報いた。額面に対して1割配当をしていたからである。少し説明しておくと、額面で増資に応じた資金が10%の配当を安定的に生み出すから、それだけで10%のリターンになった。
当時、個人の投資対象として人気だったのが松下電産(現在のパナソニック)だろう。今は見る影もないが、30年位前までは順調に値上がりし、投資家に報いていた。
清水家が、農家だったにもかかわらず株式投資に力を入れていたのも、松下電産の長期保有で儲けたからだと聞いている。今の日本の株式市場にも、当時の松下電産、本田技研、ソニーのような、わかりやすいスター企業が必要だろう。

2019/06/29


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