最近感じるのが日本の食文化の変化である。どうも劣化したのではないかと思っている。動物食の文化が徐々にのさばり、チェーン店が多くなり、地域格差が消滅しつつある。
動物食に関しては、その多くは海外から輸入された食文化である。日本にどこまで動物食の文化があったのかは知らない。皆無ではなかったはずである。
とはいえ、肉を得ることを主目的に動物を飼うことを聞いたことがない。あったとしても、稀な事例だったのだろう。少し前、鯨肉について書いたように、自然にいるのを狩って食べることはともかく、飼育したものを食べるのを嫌ったはずである。
地方を歩くと馬頭観音の石碑が多い。仏教に由来するのだろうが、飼い、働いてもらっていた馬の死を哀れんだと思う。広く牛も含まれたのだろう。子供の頃、農家に飼われていた農耕用の牛は、死んだときにどうなったのか。少なくとも親戚の村では、食べたとは聞いていない。
チェーン店が美味くないのは事実である。ひょっとして、最初は美味い店だったのかもしれないが、その味をベースに店舗の数を増やした場合、最初の足が引き継がれないのは当然だろう。店ごとに下味を付けたり、出汁を取ったりすれば、その店の責任者に依存する。材料が同じでも(手抜きをされればなおさらだが)、味が違ってくるのは当然であり、良い方に異なることはほぼありえない。
僕の知っている例でも、責任者が現場から離れ、下の者に味を任せた瞬間、料理の質が落ちてしまう。本店では美味かったが、チェーンの店で食べると「味が違う」という例が多々ある。
それで思い出すのがラーメンの店が多くなったことである。ラーメンは嫌いでもないのだが、毎週食べたい食べ物でもない。とくに最近のラーメンは動物食とチェーン店の組み合わせである。
チェーン店はまた、地域格差を消滅に追いやりつつある。チェーン店が出現することで、その地域の古い店が閉店に追いやられる例も多い。かなり以前に書いたように、京都大学の周りに牛丼屋が3点もあったり、王将やケンタッキーがあったりするのがその好例だろう。おかげでコンビニの握り飯でも昼食にしようかなという場合も出てくる。
味の統一化も進んでいるようだ。中学生の頃だったか、関東文化圏で食べた真黒な汁のソバにびっくりしたものだが、今はその手のものが絶滅危惧種になっている。もう一度食べたいものだ。一方で、関西の塩加減が「薄い」と評価されたりする。
友人は関東出身なのだが、京都の上品な店で食べさせたら、塩を振りかけたそうな雰囲気だった。その友人のカミさんは青森なのだが、その料理が塩辛いとかこぼしていた。東京だけに人口が集まっている現在、やがて味はどうしても中和され、薄味も、塩辛さもともに絶滅危惧種になるのだろう。
僕は依然として薄味が大好きなのだが、そのうち味の探検をしないと好きな味に出会えなくなりそうだ。
2019/07/11