川北英隆のブログ

マナウスに入る

ブラジルにはサンパウロから入った。空港近くの安ホテルに泊まり、翌朝、国内線でマナウスに飛んだ。4時間かかる。マナウスはアマゾン中流域の入口、さらに西に550キロばかり離れたテフェという町にまで飛ぶ飛行機は翌朝である。その暇にマナウスを見学した。
サンパウロのホテルはヒルトンとの名前が付くものの、安宿だった。周りには工事を途中で止めたような建物もあった。ブラジル経済の停滞を象徴しているようだった。
サンパウロとマナウス間の飛行機では、窓側を何とか確保した。アマゾン流域の今を見たいと思っていたから、ラッキーだった。ちなみに、行きも帰りもマナウス便は満席かそれに近かった。運行はLATAMという南米大手の航空会社、機内では水以外は有料である。
機内モードでGPSを使って見ていると、最初はブラジリアの近くを飛ぶらしい。大きなダムが目立った。その後、アマゾン川の流域になるのだが、森林を切り開き、農地にしている箇所が目立った。さすがにアマゾン本流が近づくと、大規模な開拓地は少なくなり、森林が広がるのだが、実際の姿は後半の旅行で判明する。
飛行機はアマゾン川の本流を超え、巨大な支流ネグロ川の北岸に広がった町、マナウスに着陸した。飛行場はマナウスの北部にある。
マナウスが栄えたのは天然ゴムのおかげである。ゴムの木はアマゾン原産である。その種子をイギリスがひそかに持ち出し、東南アジアでの植林を成功させた。その結果、ブラジルの地位が低下した。今と同様、当時も経済的なスパイ活動が行われていたことになる。
マナウスはまた日本人の移民が入植した土地でもある。今回の現地ガイドは60歳の日本人(正確には日本生まれ)だった。3歳の時に家族に連れられ、福岡からブラジルに渡ったとか。石炭の衰退と関係しているらしい。
入植した当時、多くの原住民が近くに住んでいたらしく、彼らに学ぶ機会があったとか。自然に関して知識が豊富だった。日本語も話せるから、頼もしいガイドだった。
マナウスの繁栄ぶりはオペラハウス(アマゾナス劇場)に象徴される。マナウスの観光対象として一番有名である(といっても、是非見るべきというほどではない)。その他、市内には当時の繁栄を示す古い西洋風の建物がいくつも残されている。
現在のマナウスは工業都市になっている。港(マナウスの南東部)近くは工業団地になっていて、ホンダ、スズキなどの工場があった。アマゾン川を使い、製品を輸送している。
写真はアマゾナス劇場の外部と内部(オーケストラが練習中)である。材料の多くをヨーロッパから運び、建てられている。そもそもこの地域ではコンクリートに使う砂も簡単には手に入らない(川が運ぶのはもっと細かな土である)。
20190831アマゾナス劇場.jpg

20190831アマゾナス劇場の内部.jpg

2019/08/31


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