金山は群馬太田の駅のほぼ真北、直線距離2.5キロの地点にある。新田義貞に関係ある山城として名高い。新田義貞とは、足利尊氏と同じ時代に生き、室町時代の初期に南朝に仕えた武将である。
といっても、金山は239メートル、太田駅近辺が42-44メートルだから、高度差200メートル程度の丘である。
駅の北口から西に向かって歩くと、小さな丘ながら、明らかに金山と思える緑の丘が北側に広がる。金山本町から北に向かう大きな車道を歩く。行き止まりに近い車道だから「大したことない」と思ったのが間違いで、2車線ながら車が多い。
こういう時は鉄則なのだが、未知の右側を歩くこと。向かってくる車がよく見えるから、何かあった時の対処が比較的簡単である。
スバルの関係会社の工場付近から道も狭くなる。寺(金龍寺)に出ると、左手の稜線に入れそうな雰囲気が漂う。地形図を見るかぎり、車道をさらに歩き、金山城跡(新田神社)の南側から直登するのかと思ったが、そうではないらしい。
寺のすぐ上から川の右岸(西側)に入った。寺の上、立派な施設の左手に金山山頂への標識があるので、それに従って山に入った。なお、付近には「モータープール」の道標もあるが、金山の稜線に駐車場があり、そのことなので、同じ方向を示している。「町中の駐車場かなと勘違いするさかいに、山頂駐車場くらいにしろや」と思う。
山道に入ると、すぐに広葉樹と松の交じる林の中の、少しジグザグ気味、階段のある登りになる。暑いので汗が一気に出るし、蚊が多いのですぐに刺される。「これだから夏の低山は嫌だ」と思うものの、好き好んで来たのだから仕方ない。
とはいえ、標高のない丘である。すぐに稜線に出た。そこには広い歩道があり、車道も登ってきていて駐車場がある。
後は稜線を歩けばいい。少し登ると、堀(塹壕)、物見台などがある。物見台には三角点があり、その北側に妙技、榛名、赤城、日光の展望が広がる。多分、戦国時代には南側、関東平野の展望もあったのだろう。
物見台付近からは、山城とは思えない石組が出てくる。想像以上の立派な城跡だった。本丸跡の下には月ノ池があり、本丸跡に登ると日ノ池がある。ともに山城には欠かせない水場である。
本丸跡には、明治に建てられた新田神社、その横には古くからあるのだろう御岳神社、稲荷神社がある。その本丸のすぐ下には樹齢800年の(ということは新田義貞の時代の少し前からの)ケヤキがある。昭和初期には同じようなケヤキが5本あったとか。
本丸の南側からは関東平野の展望が広がっていて、富士山も見えるらしい。冬に来るのがいいかもしれないと思った。また、大きな石の鳥居があり、そこから地形図にある直登ルートが始まるようだった。
帰りは駐車場まで戻り、さらに尾根を歩いて金龍寺の上に出た。そこから呑龍さんの異名のある大光院まで山の裾野を歩いた。大光院は立派な寺である。
後は行きに通った車道である。日差しが強く、暑いので、雨傘を日傘代わりに歩いた。
写真は山頂に鎮座する新田神社である。左手に御岳神社と稲荷神社がある。
2019/09/11