川北英隆のブログ

蛭考

奈良公園由来の蛭が登場し、それがひょっとして自然遺産を護るための使い、神鹿の最終兵器なのかもしれないと書いたついでに、蛭について考えておきたい。考えるとは大袈裟、僕の体験を記録しておく。
屋久島で食われたことはすでに書いた。それが人を食う蛭の初見だった。血は、カットバンのおかげでその日のうちに止まった。明くる日は何ともなかったように鹿児島に渡り、開聞岳に登った。
蛭に出会った2回目は、千葉は鴨川の清澄寺である。清澄山というのがあり、それに登った後(そこを歩いたという方が正確)、アジサイを見学した。
そこで大量の蛭に出会った。30年近く前なので、清澄山のどこでだったか忘れたが(記録をたどる必要がある)、人が近づくと、広場のような地面から、無数に近い数の蛭が湧き出る。その蛭の首というか胴体というか、風もないのにゆらゆらする。あまりにも数が多すぎ、気持ち悪い。でも、蛭がいると瞬間に気がつくから、食われることはなかった。
3回目は比良である。日経の記者だったKTさんと花折峠の下から権現山を越え、蓬莱山を目指したときである。権現山の手前でKTさんが蛭に食われた。くるぶしのすぐ上だったと思う。この地域、鹿が多いので、それに宿っているのだろう。
蛭は動物の呼吸で発生する炭酸ガスを感知する。木の枝から落ちてくるのもいるらしいが、それにはまだ出会ったことがない。今回の奈良を含めて4回とも、地面から靴に取り付き、這い上がって足を食う類である。
これを防ぐには、面倒でもスパッツを付けるか、ズボンの裾を靴下の中に入れるしかないだろう。蛭は「虫偏」ながら昆虫ではない。だから、虫除けスプレーが効果を発揮するかどうか、怪しい。
最近、山に鹿が増えている。猟師が少なくなったからだろう。奈良公園の鹿も今は1200頭だったか、僕の子供の頃の1000頭弱をかなり超えている。そのせいで蛭も増えている。山を歩く場合、注意する必要がある。
書き忘れていたが、今回食われた箇所は2つあり、接近していた。2匹いたのかもしれない。しかも、当初は痛みも痒みもなかったのだが、1週間近く経って痒みが出てきた。屋久島の蛭では出なかった症状である。老化のなせる障害か。毒素を無毒化する体の働きが衰えているのか。
最後に、家まで付いてきた蛭の写真をアップしておく。1円玉を置くと大きさがよく分かるのだが、そこまで余裕がなかった。下の床材の幅は7センチ、その上で蛭が「気持ちいい」とストレッチしたときの写真である。その後、塩をまぶしたテッシュで退治した。春日の神様に謝る必要があるかも。
20191029神鹿の兵器・蛭.JPG

2019/10/29


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