川北英隆のブログ

老人の働きに期待するな

「老人を働かそう」との政策が矢継ぎ早である。とくに公的な年金制度がそうである。支給年齢の一層の繰り下げを可能にし、それに伴って支給額の増額というニンジンがぶら下がった。でも、そんなに老人に期待していいのか。老人にとって年金増額は本当に魅力か。
最初に、公的年金の増額について。75歳まで支給開始年齢を繰り下げることが可能となり、1年毎に8.4%の増額となる。でも、年金ファンドの運用利率に加え、死亡率(年金を受け取れないリスク)を考えると、そんなに増額とはいえない。
つまり、投資に自信があるのなら、年金をもらい、それを自分で運用すればいい。年率8.4%よりも高いリターンが得られれば十分なわけだ。
さらに、支給開始年齢を繰り下げれば、それまでの間に死んでしまうリスクがある。実感しているのだが、60歳と70歳では(70歳間近ではと言うべきだが)健康への自信度に大きな差がある。極端に言えば、「死を意識する」頻度が高くなる。アルコールにも弱くなったし(これは年金とは別問題かも)。
この死亡するリスクは増額分の8.4%から引いておかなければいけない。調べると70歳では1年間に1.7%が死ぬ。8.4から1.7を引くと、5.7%となり、運用利回りが5.7%以上であれば十分だと言える。
加えて、75歳で年金をもらったとして、それを使って人生を楽しめるのかどうかである。美酒を飲もうとしても、すでにドクターストップが命じられているかもしれない。いやにアルコールにこだわるが。
次に、老人の働きについて。老人がしっかり働いて一定額以上の収入を得れば、年金支給額がカットされる。そのカットされた分は、「支給年齢を繰り下げによる年金支給額の増額」の対象とはならない。
とすれば、老人がしっかり働けば、それだけ公的年金の財政に貢献することになる。別の表現を用いるのなら、老人が働いて得る収入は、表面的な賃金よりも、年金カット分だけ実質的に少ないことになる。端的に表現すれば「働き損」が生じる。
ということは、「今の老人は元気だから、働きたいに違いない」、「年金の受け取りを遅らせ、その分だけ将来の受取額を増やしたいに違いない」、だから「働く老人を増やし、年金の受け取りをもっと遅らせるようにすればどうか」という今の政策には、大きな矛盾が隠れていることになる。政府にとっては嬉しいことなのだろうが、老人にすれば、諸手を挙げて嬉しいとは到底言えない。
それでは、老人が働くことは企業にとって嬉しいことなのか。労働力の確保という意味では、嬉しい企業があることを否定しない。
「でも」と思うのは、老人を働かせて生産性が上がるのだろうか。自分で自分を評価するに、アルコールだけではなく、頭の働きも明らかに悪くなっている。思考の柔軟性も失われている。新しいことに取り組む意欲にも乏しくなった。当然、目や筋肉という肉体的な衰えがある。
これらは年齢とともに仕方ない現象である。いつまでも40代と変わらないという老人もいるだろうが、レアケースだろう。天才的なイチローでさえ、肉体的な衰えから40代半ばで現役を引退した。ましてや、普通人の70歳は使えるのか。企業としてみれば、もっと若くて頭脳的、肉体的にバリバリ仕事のできるのを使ったほうがいいに決まっている。
もっと困るのは、僕の経験からするに、足手まといになる老人の割合が高いことである。50代後半の定年間際の層にも、「給料だけ払うさかいに、職場に顔を出さんといて、堪忍やし」というのも普通にいた。ましてや、60代後半や70代は、特定の人を除き、酷いに違いないとイメージできる。
そんな老人に本気で頼ろうとしている日本、本当に大丈夫なのか。日本自身、老齢の域に入ったのかもしれない。

2019/12/25


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