ついでだから僕が学生だった頃の大学での授業の評価を書いておく。一言で言えば「学部の授業はつまらなかった」。教養過程の2年間(2年生のときにはあまり出席しなかったので、正確には実質1年間程度)は興味深かったのだが。
もう少し書き加えれば、3年生の時には学部の授業になったので、まったく面白くなかった。4年生の時、実質的に授業に出なかった。要するに、2年間で卒業の単位が揃ったに等しいのかな。
入学した年は大学紛争の影響が残っていて、前期には授業があまりなかったと記憶している。後期にはあった。それでほとんど教養過程を終えるのに必要な単位が揃った。多少記憶間違いがあるかもしれないが。
授業には比較的真面目に出席していた。出席するほうが、後々面倒でなかったので。
教養の授業で面白かった(それで内容を覚えている)のが、漢文の講義(史記を読んだと思う)、柳田邦男のテキストを使った講義、日本の中世の歴史、言学(日本語に関する講義)である。高校の授業でやってほしかった。
実は数学を楽しみにしていたのだが、教養での講義はいい加減すぎた。
学部の講義は、経済原論がベースになるのだが、その原論を2年生の時に受講できた。この講義、マルクス経済と、ケインズなどの経済(近代経済学)とが年度ごと、代わり交代にあった。不幸な?ことに僕の入学年度は2年生の時にマルクス経済の原論だった。早く済ませたいと思ったものだから、2年生の時に受講したが、瞬間、「何、これ」だった。おかげで取得した全単位の中で最低の点数だったと思う。
公認会計士の資格も念頭にあったが、学部の講義で役立つものはなかった。「会計学」なる授業も、最初の2回位出席したのだが、内容に呆れ返って単位を取らなかった。
今なら資格のための予備校に通えばいいのだろうが、そんなものもなかった。というか、そこまでして資格を取る気もなかった。
結局、下宿か図書館で気の向くまま、いろんな本を読み漁ることで2年生以降の3年間が過ぎた。多分、その3年間に何もしなければ、大学時代の収穫は、1年生の時の教養での講義があったのでゼロとは言わないものの、20点程度のものだったと思う。
書き忘れているが、統計や証券投資論を大学で学びたかったのだが、前者はマルクス経済学的な統計であり、社会的な観点からの解釈論だったようだ。高校のほうが進んでいると思い、数回出席しただけで単位を取らなかった。後者は何もなかったに等しい。4年生の時、大阪大学からだったか、非常勤講師が来ていたのだが、もはや大学での講義に興味がなかった。
大学院への進学が脳裏をかすめなかったわけではない。でも、「勉強し、進学してもしゃあない」というのが正直な印象だった。
それに当時、進学するには勉強しないといけなかった。そこまで時間をかけるべき対象とは到底思えなかった。もう少し言えば、他大学の院に進めばよかったのかもしれないが、そこまで命をかける学問だとも思えなかったのが正直なところである。
僕が京都大学での勤務を始めた時、僕の大学生時代に教壇に立っていた教員はすべてリタイアしていた。今、存命の教員はごく少数になっている。だから、いろいろと悪口を書けるのだが。
追記:大阪大学からの非常勤講師が講義したのは統計学だったようだ。そうだとすれば証券投資論が誰だったのか。記憶にない。統計は社会人3年目に仕事上、学ぶ機会があった。証券投資は社会人になってからの独学に近い。
2020/01/10