今の天理駅は天理教のための駅のようだ。かつて近鉄と国鉄の駅は別々、それが1つになった。1965年だそうな。思い出すと、国鉄の天理駅、昔は丹波市(たんばいち)だった。この付近、奈良が都だった頃、交通の要衝として市が立ち、神社や古墳もできたのだろう。
天理駅から市内を真東に歩く。突き当りが天理教の本部である。巨大な建物が連なり、それに屋根があるものだから、ここは中国かと思ってしまう。「ようこそおかえり」とあり、建物に「母屋」とあるから、「ここは日本、天理教や」と思い出す。それと、韓国の「オモニ」の「モ」が母であり、日本でもおなじ読み方が母屋(おもや、もや)に見られると、変なことに納得して歩く。
突き当りを適当に右に折れて布留川に出る。川の右岸(北側)にかつての街道が伸びている。天理教の建物(地方の信者のための詰所)がまばらになった付近で道標に従って布留川を渡り、石上神宮に立ち寄った。途中に田んぼがあり、ようやく異国から抜けた気分になる。
石上神宮の建物は思ったよりも小さかった。そもそも建物はなく、森全体が御神体のようだし、もっと広大な森がかつての信仰の対象だったのだろう。周辺に古墳も多い。
その神の地に天理教の建物、施設が食い込んでいる。さらに、これは石上神宮から桃尾の滝に向かって歩き始めて知ったのだが、「エホバの証人の王国会館」なる建物(小屋?)まである。石上神宮の神様は寛容なのだろう。
それはともかく、境内に入ると鶏の鳴き声がする。本殿の手前に鶏が飼われていて、オスがしきりと鳴く。喧嘩しているのもいる。神の使いだそうな。
本殿だけを参り、布留川沿いの街道に戻った。神宮の森をそのまま突き切っても、エホバの小屋の付近で街道に出られたようだ。
写真は石上神宮の鶏。突かれると嫌なので(子供の頃、突かれた記憶がある)、遠くから写真だけ撮った。
2020/01/18